今週読んだ本―皆殺し映画通信とかポケモンの神話学とか

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柳下毅一郎『皆殺し映画通信 冥府魔道』『皆殺し映画通信 お命戴きます』『皆殺し映画通信 御意見無用』

映画というのはあなたが考えているようなものではない。それはもっと深く不思議な世界なのである。映画を見ていれば、こっちの浅知恵をひっくり返すような出会いがかならずどこかに存在する。思ってもみなかったような映画が存在するのだ。
柳下毅一郎『皆殺し映画通信 冥府魔道』P2



誰も観ていないような町おこし映画や幸福の科学映画から、TVドラマの映画版、雨後の筍の如く作られるタイムトラベルラブストーリーまで、映画史には絶対に残りそうにない映画を観に行き批評するという、柳下毅一郎氏の映画地雷処理業をまとめた単行本。

メジャー映画もあるのだが、誰が観てるの!? となるようなインディーズ映画や町おこし映画が数多く取り上げられており、後世に資料的価値があるのはむしろそちらの方だろう。地方創生プロジェクトとして、舞台の地域は違うのにストーリーは「都会で疲れた若者が地方に帰ってきて癒やされて祭りで終わる」と判で押したように似通った映画が作り続けられていたとか、この『皆殺し映画通信』シリーズがなければ数十年後にはきれいに忘れ去られてそうだ。

めった切りにされている映画も、個々に個性があればまだ救いようがあるが、ダメ映画にはダメ映画の類型があるようで、このシリーズを読んでいくと、町おこし映画、青空映画(高校生のファンタジックなすれ違い恋愛映画を著者はこう呼んでいる)、難病映画とダメ映画のジャンルに詳しくなることができるだろう。まぁ自分で観てみようかって気にはまったくなれませんが!著者も酷評するために行ってるのではないと言っているが、最新巻では「ぼくらは今、映画の死を目撃している」とかなりトーンダウンしているようで……。

とはいえ、そうした青空映画や難病映画は需要があるから作り続けられているのであり、その需要については考えないといけないんじゃないかなと思ったが。町おこし映画については、まぁ国民の税金が誰も観ないような映画に注ぎ込まれている日本の闇としか言えないが……。

『皆殺し映画通信 御意見無用』のなかで問題作として取り上げられた、UFOドキュメンタリー『虚空門 GATE』はアマゾンにあったから観ようと思う。

(観ました。感想記事→『虚空門 GATE』UFOは飛ぶ。夜空に、晴天に、リアルとフェイクの狭間に、人の心の中に

あっ最新刊の『皆殺し映画通信 御意見無用』以外は全部Kindle Unlimitedで読めるんで会員の人は気軽に読んでください。

中沢新一『ポケモンの神話学』

1997年に『ポケットの中の野生』として出された単行本が、Pokemon GOブームの時流に乗って2016年に出し直された新書。ポケモンというゲームの中にはレヴィ=ストロースの言う「野生の思考」が生きているという本。

ポケモンの交換が人類学の贈与論と親和性が高いのはわかるが、ラカンの精神分析でいうところの「対象a」をポケモンは昇華しているというのはなかなかわかりにくい。なんでこう精神分析という学問は、込み入った宗教の秘術めいた世界になっていくのかが不思議だ。

中沢新一はこのポケモン論の前にゲームを題材にした論文としてゼビウス論を書いているらしいのだがそちらにも興味が湧く。

子供の頃読んでいたポケモンの攻略本からの引用とこういう本で出会うのはなかなか面白い。1925年にニシノモリ教授の実験中のミスで、オコリザルが身を縮め教授のメガネケースにすっぽりと収まった……ってポケモンの初代世代では有名なエピソードだと思うけどこれ今も有効な設定なんですかね。

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