【読書】『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』ナチ政権のアレさ加減がたっぷり詰まった良書

ツイッター(現:X)で時々「あのナチスもこんな先進的なことをしていた」「あのナチスも実は良いことをしていた」などという主張がバズることがある。本書『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』はナチズムの研究者がそうしたナチスは「良いこと」もしていたという主張に対して様々な「良いこと」とされる政策を取り上げて検証していくという本である。

読んだのは結構前なのだが、ブログの記事にしようと思って積んでおいたのを改めて読み直して記事にしてみた。

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本書ではナチスの政策について歴史的経緯・歴史的文脈・歴史的結果の3点から検討していく

本書ではナチスの政策について

  • オリジナルだったか(歴史的経緯)
    • 別にオリジナルであることと良いこととは関係ないが、ナチスは良いこともした論者はナチスの政策が発明であり発見だと主張することが多いので。
  • 目的は良かったか(歴史的文脈)
    • ナチ体制の戦争、ホロコースト、障害者虐殺などの結果は擁護し難いが、目的においては良いこともあったのではないかという考えがあるので。
  • 結果良いことがあったか(歴史的結果)
    • 当たり前だが良いことをしたというからには良い結果がなければ良いことをしたとは言えないので。

の3点を検討していく。
で、その結果なのだが……。

ナチスの政策に「独自で」「良い目的で」「結果うまくいった」ものはほとんどない!

一つ一つの政策や業績が検討される中でわかるのはナチスの政策に「独自で」「良い目的で」「結果うまくいった」ものはほとんどないということだ。

経済政策は財政破綻を戦勝でごまかしたもの

例えば経済を回復したことについてはそもそもナチスが政権を握る前から経済は再生しつつあったことや、有名なアウトバーン建設についても主にプロパガンダのための効果は果たしたが、政府の雇用創出策全体で見ても、1935年までに50万人程度の雇用を生み出すにとどまっており失業者が600万人いたことを考えると劇的な効果があったとは言えないということ、経済政策全体を見ても平時におきながら国家支出の61%を軍備に注ぎ込み、過剰な財政支出で財政破綻の危機にあったことなどを述べている。

そして戦争を始めてからは占領地やユダヤ人から膨大な量の金・モノ・人間を収奪しており、外国からの収奪は、少なくとも総額1700億ライヒスマルク(約97兆6000億円)に及び、戦時期にドイツで働かされた外国人労働者は1348万人、そのうち18%の245万5千人がそのさなかに命を失ったなどと、到底まともに褒められる経済政策ではないということがわかる。

国民への福利厚生は空手形で十分には達成されなかった

ナチスは一日八時間労働制の実施や有給休暇の拡大、国民のために富裕層しか出来なかった海外旅行やレジャーを提供し、安価なラジオ受信機や大衆向けの国民車フォルクスワーゲンの生産などをして、国民の福利厚生の向上に努めたという主張がある。

しかしそれらはほとんどプロパガンダや誤解であることが明らかにされていく。一日八時間労働は1919年に国際基準になっており、ナチ政権下ではむしろ軍需産業では週60時間、72時間労働も一般的だった。有給休暇を義務付けた法律も出さなかったので有給休暇はほとんど増加しなかった。ナチスは歓喜力行団という組織を設立し、旅行やレジャーを国民に提供したのは確かだが、海外旅行は富裕層向けというのは変わらなかったし、レジャー施設は戦争が始まって建設はストップされた。安価なラジオ受信機はヴァイマール時代に設計されたものだったし、国民車に至っては数十万人もの人々が積立金を支払ったが予約購入者に一台も納車されず開戦後に生産ラインが軍用車に切り替わってしまった。このポイントは本書を読んでいて一番笑ってしまったところでもある。国を挙げた詐欺行為じゃないかそれは。

健康帝国も実態は……

ナチスは禁酒・禁煙を奨励し、がん撲滅運動を行っていた健康帝国だったという主張がある。これも本書の中で仔細に検証されていくのだが、そのどれもがナチスのオリジナルなものではない。禁酒・禁煙や健康な食生活を求める動きはナチ政権以前から高まっており、ドイツががん研究の最先端だったのもナチ政権の遥か前からだった。

またナチスの健康運動はドイツ民族を一つの「身体」としてみなすナチスの「民族体」という考え方によるものが大きく、同じ考え方からドイツの健康な「民族体」を汚す障害者やユダヤ人を排除しようという動きと同根のものだった。

さらにアルコールもタバコも大事な税金の収入源であり、戦争のためにも精神的に役立つものだったためナチスは完全に殲滅しようとしていたわけでもなかった。

ヒトラーにも優しい心があったというのはナチ政権時代からあるプロパガンダ

以上の例のように本書『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、ナチスの政策について一つ一つ取り上げ、その神話を解体していくのだが、それはナチスとヒトラーのプロパガンダにも及んでいる。

ツイッター(現:X)で時々話題になるヒトラーが少女と笑顔で接する写真は当時の報道写真のお決まりのテーマであり、カリスマ総統としてのヒトラーと同じように作り上げられた「子供に優しいヒトラー」のイメージは彼の絶大な人気の基盤を成すものだったという。実は優しかったとかそんな話じゃないのである。

そもそもヒトラーが笑顔の少女と写ってる写真をツイッター(現:X)で見ただけで「アラ、ヒトラーも実はいい人だったのかも……」なんて考える奴は夢見るアリスチャン過ぎだろ……と思うが。

ナチの政策はすべて「戦争準備・実行」と「ドイツ人の血の浄化」というふたつの柱の投影である

自分流に本書をまとめると、ナチの政策はすべて「戦争準備・実行」と「ドイツ人の血の浄化」というふたつの柱の投影である。ユダヤ人差別ではなく血の浄化としたのは、ナチスが考慮していたのは健康なドイツ人の血に障害者やロマ、ユダヤ人などの血が混ざって汚染されることだったため。

だから、ナチスの公共事業や民族共同体という運動をピックアップして「ある政策を取り出すと良いことをしていた」簡単に言えるものではない。何故ならその政策は「戦争準備・実行」か「ドイツ人の血の浄化」が目的としてあり、例えば膨大な軍需支出によるインフレ危機や拡大障害者への断種や大量殺人がセットになっていたりするためだ。

また本書ではナチスの功績はナチ政権より前に実施されていたり準備されていたりする事業の手柄を横取りしたパターンが繰り返されるのだが、ナチス時代ですら軍需大臣アルベルト・シュペーアが軍需生産を大幅に増大させたという功績、いわゆる「軍備の奇跡」も前任者の改革を引き継いだだけというように横取りパターンが繰り返されるのがちょっとおかしい。まぁよく考えてみればたかが建築家ごとき(シュペーアはもともとヒトラーのお抱え建築家)が軍需生産の大幅な合理化なんてできるわけないわな。

ナチスを知るための入門書に最適

2時間ぐらいでさらっと読むことができ、ナチスの各種政策とその実態をまとまって知ることができるのでナチスを知るための入門書として非常に優れた本だと言える。ナチスの政策が主題なのでナチ党が政権を握るまでやヒトラーの生育環境などの触れられていないところは別の本で読む必要があるが。また巻末に更に詳しく知るためのブックガイドがついているのも親切で、中学生はまず本書を読んでブックガイドから何冊か読んでまとめれば中学校の自由研究でナチスについてのまとめ解説ができるんじゃないだろうか。

あえてさらに難癖をつけるなら自分のような厭らしいオタクが興味津々のナチスとオカルト関連の情報は載っていないことだが、それは『聖別された肉体: オカルト人種論とナチズム』あたりを読むといいだろう。

ちょっと真面目な話するとナチスに関係するオカルト理論もナチスの色々な政策と同じようにオリジナルなものではなく、アリオゾフィというドイツの民族主義的なオカルトの流れを継いだものであること、また、精神障害者に対する断種政策もアメリカの方が先行していることと、アメリカとナチス両方にある混血恐怖はブラヴァツキー夫人やラヴクラフトのクトゥルフ神話にも共通する白人社会で受け継がれる暗黙のルールではないかという思考の伸ばし方もできるので、関連するオカルト思想のことを知ることも少しは意味があるのではないか。別に時代精神とか暗黙のルールだからナチスは悪くないと主張するつもりはありませんので念のため。

ナチスの理想国家ってアメリカ?

本書を読んでこの記事を書きながら思ったのは、モータリゼーションも障害者に対する断種政策も民族排斥も(アメリカは対日移民法を制定している)アメリカが先んじて実行しているのを見ると、ナチがモデルとした国家ってもしかして当時のアメリカなのだろうか?

アメリカには黒人の血が一滴でも混ざっていればそれは黒人という「ワンドロップ・ルール」があった。ナチスの場合、4人の祖父母のうち一人がユダヤ人の場合はドイツ人判定だったからナチスのユダヤ人認定のルールより遥かに厳しい。ただしこれはユダヤ人とユダヤ人混血を全員ドイツ人社会から追い出すと特に兵役の面で問題が多かったため。ナチスの手前勝手な都合で決まるユダヤ人判定の緩さに腹が立ってくるのと同時にアメリカの人種差別の苛烈さも恐ろしくなる。

と思って軽く調べてみたらそのものずばりな本が出ていた。これは読みたいね。

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