『都筑道夫のミステリイ指南』と『新吼えろペン』―連載は竜頭蛇尾でいい論

推理作家の都筑道夫が書いた小説指南書『都筑道夫のミステリイ指南』を読んでいたら、以下の部分を読んであっとなった。

昔、エンタテインメントの連載小説というものが重要視されていた時代に、おもしろいことをいった作家がおりました。雑誌連載の長篇小説というのは、竜頭蛇尾であってもかまわないというのです。(中略)なぜかといいますと、昔の連載小説というのは、十二回、つまり一年間にわたるわけであります。そのうち、結末はたったの一回。 それに対して、そこへ行くまでというのが、延々十一回分もあるわけで、その十一回が おもしろければ、最後が蛇のしっぽだって、読者のほうもまあ満足するものだということです。
都筑道夫『都筑道夫のミステリイ指南』

この連載論はネットで有名な『新吼えろペン』の有名なページそのものではないか。

新吼えろペン8巻より

島本和彦『新吼えろペン8巻』

島本和彦先生はこの本を読んでこの回を描いたのか、それとも『ミステリイ指南』で引用されていた竜頭蛇尾でいい論はその後も脈々と受け継がれ漫画界でも有名な話になっているだろうか、はたまた多くの連載作家が竜頭蛇尾でいい論の境地に至るのか。もちろん『ミステリイ指南』も短編小説の場合は竜頭蛇尾では困ると書いてあるが。

ただしこの「つまんない回を最終回にもってくるセオリー」は、その場その場の引きだけを考えて漫画連載をしている流れ星超一郎と編集のボタQが言っていることであって、島本先生の意見ではない(と思う)。この後色々あって富士鷹ジュビロ1)googleIMEで一発変換は『からぶりサービス』をきちんと最後の風呂敷までたたみ切ることに成功する。

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『吼えペン』との共通点に注目してしまったが、『都筑道夫のミステリイ指南』は単体でも読みどころがある。

推理作家の都筑道夫がエンタテイメント作法教室というところでやった授業を本にしたものだが、自分で書いた作品を材料にして作者はどのようなことを考えて一作を仕上げるのかについて説明している。ショートショートで書いた『夜の声』、「SFエロチックミステリ」というアンソロジーに添うかたちで同じアイディアを短編小説にした『電話の中の宇宙人』、『夜の声』にいろいろな描写を加えて怪奇短編小説にした『風見鶏』という三作の比較が面白い。同じアイディアをショートショートにする場合はどうするのか、短編小説にするにはどんなディティールを付け加えるのかなどが比べて読むことでわかる。

また、都筑道夫は海外SFの紹介や実作などで日本の初期SF界を支えた作家でもあるのだが、SFを書く上で未来でも現在使っている日本語が通じるのかという疑問がどうしても解消できずにSFを書くのをやめてしまったということを書いている。同時に、読者にとってまったく未知な機械に日本語で名前を与えるとみんな野暮ったくなってしまう、日本におけるSFが進歩するにはそうしたことばの問題を考えなければいけないのではないかという提言がされる。

自分はこのあたりの日本語による空想喚起の問題に答えを出しているのが椎名誠や北野勇作なのかなと思った。椎名誠の『武装島田倉庫』や『銀天公社の偽月』は多数の造語が説明もなく飛び出すが、それが野暮ったいどころか実に魅力的に独特な異世界感を醸し出している。北野勇作の小説は常に何かから何かへ事態が変化している途中を切り出したような小説で、ちょっと一部を把握したような気になると手にしたものがたちまち変化していってもう掴みどころがなくなっていまう不思議な言語体験が特徴だ。どちらも日本語の文章だからできる感覚を追求しているのではないか。

人気作家の実作体験からの創作法という感じで、今どきのストーリーをかっちり構造から考えるといった感じではない。しかしこれは両方とも需要があるというか必要なもので、構造からストーリーを考える本には実際書く上の苦しみや悩みなどは考慮しないものが多く、着想から完成させるまでの道筋を紹介するの本も必要なのではないかと思う。

脚注

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