キンドルでSFとホラーとミステリが同じジャンルにブチ込まれてるのが非常に困る。どれもそれぞれ独立させていいジャンルだろ!?
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最近は小松左京が結構キンドルアンリミテッドに入ってるのを見つけて重点的に読みました。
『小松左京短編集東浩紀セレクション』
収録作は「地には平和を」「御先祖様万歳」「物体O」「アダムの裔」「神への長い道」「人類裁判」「戦争はなかった」「静寂の通路」「東海の島」「お召し」「結晶星団」「お糸」「ゴルディアスの結び目」「大坂夢の陣」「華やかな兵器」。
どれも一定以上の面白さがあって、オススメの短編集。しかし東浩紀セレクションはキンドルアンリミテッドに入っていて、大森望セレクションは入っていないのは何故だ。
「地には平和を」
小松左京のデビュー作で、歴史犯罪者の手によって、ポツダム宣言が受諾されず米軍と本土決戦する戦中日本を舞台にした短編。
「犠牲をはらったなら、それだけのものをつかみとらねばならん。それでなければ、歴史は無意味なものになる。二十世紀が後代の歴史に及ぼした最も大きな影響は、その中途半端さだった。世界史的規模における日和見主義だった。だからはっきりいって第二次世界大戦の犠牲は無駄になったのだ。全人類が、自己のうち出した悲惨さの前に、恐れをなして中途で眼をつぶってしまったのだ。もうたえられないと思って中途で妥協したのだ──日本の場合、終戦の詔勅一本で突然お手あげした。その結果、戦後かれらが手に入れたものは何だったか? 二十年をまたずして空文化してしまった平和憲法だ!」
ヴォワザン警部は局長にちょっと目配せした。局長はうなずいた。
「そんなことなら、日本はもっと大きな犠牲を払っても、歴史の固い底から、もっと確実なものをつかみあげるべきだった。どうせそれまでさんざん悲惨さを味わって来たのだ。焦土作戦の犠牲をはらうくらい、五十歩百歩だったじゃないか。日本という国は、完全にほろんでしまってもよかった。国家がほろびたら、その向うから、全地上的連帯をになうべき、新しい”人間”がうまれて来ただろう。──帝国主義的戦争を内乱へ、という有名なテーゼがある。現に、君たちの発見した時は、日本で労働者の内乱が起こりかけていたじゃないか!」
『小松左京短編集東浩紀セレクション』「地には平和を」
これが歴史犯罪者の主張だけど、小松左京には敗戦体験があるからか徹底的な破壊の中から何か真に尊ぶものが生まれてくるのではないか、みたいな歴史的マゾヒズムがある気がする。『日本沈没』とか『物体O』とかなんだったら『神への長い道』もそうだけど、破壊の後の再生、敗者の上にある栄光みたいなテーマが好きなような気がするんだよねー。
「御先祖様万歳」
自分の曾祖父さんがまだ開通すらしていない最新式の新幹線と写った写真が出てきて、お祖母さんが先祖代々所有する山から文久3年(1863年)へタイムスリップできる穴が見つかったことから端を発するドタバタ。
文久3年といえばこの小説が書かれた100年前で、薩英戦争が起こった年で幕末の日本が色々混乱している時期だ。そこと現代日本がつながってしまったらむこうの日本を支援してやるという動きが出てきたり大変なことになるわけです。長編作品だったらそこから歴史が変わってしまいもう一つの明治時代を描く話になりそうだけど、残念ながら短編小説なので突然穴は通じなくなりタイムパラドックスオチで話が終わる。
「物体O」
リング状の巨大物体「物体O」が空から現れて関東地方と九州北部が潰され、日本の関西地方だけが外界から切り離されてしまい、外部との交通と首都を失った日本はどのような危機に襲われ、どのような体制を作り上げていくかというシミュレーション小説。小松左京の代表作のひとつ。
再読してシンゴジラを観た時に小松左京を想起したことを思い出した。また、出てくるのが政府の偉い人とか学者ばっかで、最近見たYoutubeの映画チャンネル「Blackhole」でシンゴジラやシンウルトラマンには市井の人が出ていない!というお怒りのメールが届いていたことを考えざるを得なかった。
一応本編に、
フレッド・ホイルの”暗黒星雲”を読んだかい?」
「宇宙生成論か?」
「ちがうよ、小説さ。あの中で、非常事態に際しては、最も多くの情報をにぎる者が、権力をにぎるというアイデアがあるんだ」
「それがどうした?」
「鼻持ちならん学者のエリート意識だと言うのさ。政府相手の駆け引きだけで、政治の迷妄を免れ得るなんて甘すぎる考えだ。──もっと大衆を信頼すべきだよ。僕は出来るだけ多くの大衆に、できるだけ正確な情報を大量に流すつもりだ。とにかく勤労大衆の協力なくしては何もできないんだからね」
『小松左京短編集東浩紀セレクション』「物体O」
というツッコミの視点は小松左京にもあるのだが、実際作中で多くの情報を握る大学教授が新体制の絵図を描いちゃうし、大衆が何かできたわけでもないし。
しかし、実際そんなゴジラが来たり怪獣とウルトラマンが戦ったり巨大なリング状の物体が落ちてきたら市井の一般人に何かできるわけがないだろうし、そこらのボンクラが事態にあたってなんか活躍できたらそれはそれでただのポルノなんじゃないかとも思うし……。ポルノと言い出したら「物体O」は東京が潰れても大阪京都があれば日本はやっていけらぁ!という関西ポルノと言えなくもないし……。
今読むと中学生の時と違って色々考えることもあるけど、コンパクトにまとまったシミュレーション小説で代表作なのは間違いないし未読の人は読んで損なしなのは保証します。
「アダムの裔」
未来から男性器だけになった人間の男がやって来るというドタバタ短編。主人公の作家が編集者からエロ書けエロ書けとせっつかれて悩むのは小松左京の実体験だろうか? 馬鹿馬鹿しい下ネタ短編なんだけど、筒井康隆に比べると風刺的に読める余地もあったりしてちょっと品があるのが作家性。いや筒井康隆が下品すぎるだけかも……。
「神への長い道」
宇宙よ……しっかりやれ!
<『小松左京短編集東浩紀セレクション』「神への長い道」/cite>
これも小松左京の代表作のひとつ。
あらすじは、停滞と閉塞感に倦む二十一世紀人の主人公が遠い未来ならなにか新しい道があるのではないかと長期冷凍睡眠に入り五十六世紀の冥王星で再び目覚めるのだが、未来の人類文明は閉塞感のどん詰まりに行き着いたものだった。それでも何かこの状況を突破できるものはないかと、五十六世紀人の遠く離れた異星人の遺跡調査の探査プロジェクトに同行した主人公は滅んだ遺跡の中で異星人が眠る場所を発見する。五十六世紀人はその場所をただの墓所とみなしたが、どうしてもその場所が気にかかる主人公は、その場所が精神旅行によって文明より高みに上げて最終的に宇宙全体を進化させるための装置だったことを発見する。
短編ながらスケールがとにかく大きくて、そこで示されるこの宇宙すべては何のためにあるのかというビジョンがものすごく迫力ある小説。
『三体Ⅲ』を読んだとき本作を連想したんだけど、『三体』の冷酷な世界観と対照的に本作は陶酔的なまでに熱い宇宙観だ。宇宙に生まれたすべての知的生命体が、一度は袋小路に入ってしまった人類でさえ宇宙の流れの中では意味を持ちうるかもしれない。引用した通り「宇宙よ……しっかりやれ!」精神ですよ。読まないやつは馬鹿。
「人類裁判」
宇宙開発時代になってコンキスタドール並にいろんな星で乱暴狼藉を働く地球人への罰として人類以外への生命体との接触の禁止が宇宙文明によって執行されるという話。
人類が高度知的生命体に裁判にかけられるというネタはちょくちょくあってだいたい環境破壊問題への警鐘なんだけど(例えば『映画ドラえもん雲の王国』とか)、これはバクテリアが人類を弁護しに現れて、「人類は確かに破壊者だけど地球生命体のチャンピオンで希望なんだ」っていうのは小松左京の作家性が出てると思った。
「戦争はなかった」
突然第二次世界大戦がなかった世界に独り戦争の記憶を持ち取り残された男が「戦争はあったんだ!」と叫び続ける話。
小松左京、というか戦中を経験した世代の「戦争」に対する屈折した思いを感じる短編。これを読むと前述の歴史的マゾヒズムは戦争体験が元になってるんじゃないかと改めて思う。
「静寂の通路」
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が話題になった頃の作品で、環境汚染が問題になった後人類の努力で危険な物質を垂れ流すのは止められたが、一度世に放たれた化学物質は消えるわけではなく、生物濃縮によって人間の生殖能力を危機に晒すという話。
環境汚染の書き方が恐ろしくて素敵なんだけど、さらに公害に適応する新たな人類の姿をちょっと出してくるのがSF作家らしくていい。未来の進化した人間というネタでは「アダムの裔」と同じなんだけどなんという温度差!
「東海の島」
殷周革命のの古代中国、実は未来人である主人公は東海に浮かぶ島に渡ろうと、村の古老から話を聞き、殷の敗残兵とともに東海の島に渡る。そして主人公はその島の文明レベルの低い原住民と一緒に暮らし、まだ中国文化が流れてこない本当の日本人の心を探ろうとする。
古老が中国の古代史や民族の移動や地理などを語るのだが、その内容が多彩でよくこんな色々な学術的トピックを小説に落とし込んでしかも短編小説にできるなと思い、小松左京は本当に知識人だなぁと感心するわけです。
「お召し」
1964年の小説を今更ネタバレとかどうこう言いたくないし普段の私のポリシーだったら普通に内容を語るが、未読の読者には何も頭に入れない状態で読み始めて欲しいのでここではあらすじと感想を語らない。まぁ読んでくれとしか。
2013年に萩尾望都が本作を原案に「AWAY」という漫画を描いていたが、こちらもできれば原作を読んだ上で読んで欲しい。自分も1巻しか読んでないが。
後、久美沙織が書いたMOTHERのノベライズにもこの短編のネタが出てきたが、原作のゲームですでに言及されていたっけ? わかる人は教えてください。
「結晶星団」
結晶星団のビジュアルイメージはいいけど、小松左京のくどいところが悪く出ている。要するにパンドラの箱を開けてしまう話なのだが。
”ンバンバの封じ石”とか”虚空の要、ン・ンの顎”とか”ムムの予言に語られた運命”とかすごくイイんだけどねぇ~。全体として短編の割に長いくせにオチが弱い、みたいな。長谷川裕一の傑作スペースオペラ漫画『マップス』っぽいんだけど、『マップス』ならもっとキッチリオチをつけるぜ、みたいな。
「お糸」
江戸時代にTVや飛行機、電灯などがあった世界を書く歴史改変SF。昔は人情があって良かったという話だが、本作が発表された年代はすでに映画『三丁目の夕日』で描かれるようなノスタルジーの対象ではないのかと考えると人類の進歩のなさを感じる。
「ゴルディアスの結び目」
精神に深く傷をつけられた少女の心が物理的ブラックホールになる話。SFファンからの人気が高いらしい。傷つけられた精神による物理的怪奇現象を研究する機関の様子の書き方が格好いいからかな?
また”善”と”悪”、”光”と”闇”の宇宙観と仏教的涅槃の観念的な話が読んでいる端からみるみるうちに宇宙構造のモデルの話になっていく手筈は見事。やっぱりSFにはこういうデカいホラを吹いて欲しいもの。
「大坂夢の陣」
未来のドキュメンタリー番組作成スタッフが大阪冬の陣を取材する話。取材計画を話すという形で歴史の説明が垂れ流されるのだが、説明の口実が上手いなーと思った。
また、 古田重然の掘ったトンネルの中には、 さすが茶人らしくて、土を掘った茶室までしつらえてある……」
『小松左京短編集東浩紀セレクション』「大阪夢の陣」
また『へうげもの』読者としてはこの一文にニヤリとするなど。
「華やかな兵器」
SFスパイもの。表面的には平和に交流している宇宙人が秘密裏に地球に秘密兵器を持ち込んでいるのだが、その兵器の正体がつかめないという話。こういうジャンルものとSFの混ぜ合わせが小松左京は上手い。
小松左京短編集『御先祖様万歳』
最初におことわりしておきたいが、この話はできるだけ大急ぎで読んでいただきたい。大急ぎで読んでいただいても、はたしてあなたがこの話を最後までお読みになれるかどうか、私には保証しかねる。
小松左京『御先祖様万歳』「紙か髪か」
収録作は「三界の首枷」「紙か髪か」「痩せがまんの系譜」「ぬすまれた味」「聖六角女学院の崩壊」「機械の花嫁」「女か怪物(ベム)か」「ダブル三角」「カマガサキ二〇一三年」「SOS印の特製ワイン」「墓標かえりぬ」「御先祖様万歳」。
軽いドタバタ中心の短編集。小松左京にはドタバタものかつ奇想な短編でいいのがもっとあった気がするのでこの本はちょっと食い足りない。なかでもいいのはちょっとした仕掛けが効いている「紙か髪か」とサイコホラー調で有名なリドルストーリーの『女か虎か』をモチーフにした「女か怪物か」だろうか(両方「○か○か」なのは偶然)
解説で「御先祖様万歳」は「御先祖様バンザイ」として1965年にフジテレビでドラマ化してることを知る。脚本は『11PM』、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』などを手掛けたキノトール、主演はフランキー堺で、ヒロインは中村メイコ、沖田総司役に納谷悟朗! 銭形警部が沖田総司! フジテレビには一本も録画テープが残ってないのが残念。
小松左京は山上たつひこのファンで、「ゴルディアスの結び目」の執筆に行き詰まった時、書庫の「がきデカ」全巻を読んで完成させたとか へー。ヒロインの精神世界のグロテスクな描写かな?
小松左京短編集『明日の明日の夢の果て』
ものの本によると、昔はこんなにムチャクチャでもなかったらしい。
小松左京『明日の明日の夢の果て』「ハレンチの果て」
収録作は「炬燵の中の月」「ふかなさけ」「月のしのぶ」「人魚姫の昇天」「空のゆきずりに」「告白」「プライベート・マネー」「こちら”生きがい課”」「こちら”アホ課”」「こちら”二十世紀課”」「持ち出し通貨」「黒いクレジット・カード」「おみやげブーム」「おちてきた男」「レジャー地獄」「公明選挙」「土地と土」「セックス・プレイヤー」「ハレンチの果て」「ZOTV騒動記」「キチガイ日本」「明日の明日の夢の果て」。
軽いショートショートなどが集められた一冊。時事ネタを「この風潮が加速していったらこんなことになるのでは?」という風に広げていった作品が多く、当時の社会情勢が間接的にわかる話が多い。上で引用したのは、「ムチャクチャな未来世界を描く」→「どうしてこういうムチャクチャ世界になったのか現代からの歴史を振り返る」→「ムチャクチャな未来世界でオチがつく」の一連のテンプレの流れの一部、過去を振り返るパートの文である。
好きなのは地口落ちが決まった「こちら”アホ課”」と男の狂気が炸裂する「土地と土」。
作中に「無人改札」がどういうものか、「現在東京や大阪の一部で使われています」という説明付きで出てくるのは隔世の感がある。今じゃ当たり前だもんなぁ。
なんで時事ネタが中心だったのかは解説の作品がどんな雑誌に掲載されていたかの説明でなんとなくわかる。月刊誌「労働文化」、「週刊朝日」、若者向けの情報誌「月刊Roketパンチoh!」が掲載誌の作品が集められていて、SF専門誌や文芸雑誌などの小説専門誌ではないのだ。だから一般の若者やサラリーマン向けにわかりやすい時事ネタが中心になって、バリバリのSFは編集者に歓迎されなかったのだろう。
そういう意味でガチのSFを求める読者には物足りないかもしれないが、こういうアイディアだけのSFも結構好きなのでそれなりに楽しめた。中学生の頃、筒井康隆とか小松左京とか豊田有恒とかかんべむさしとか横田順彌のこういう軽いノリのSFを読みまくってたので……。
ただ表題作の『明日の明日の夢の果て』はちょっと毛色が違った、人間の文明の発展と展望に関するメランコリックな話になっている。解説では「高度成長のという名の宴が終わりを告げ始める中、若者向け雑誌を読む読者に対し、その雑誌の色を無視してでも、敢えて訴えたかった小松左京のメッセージが込められているのではないでしょうか」と書かれており、確かにパッと見では時事ネタではないが、解説の言う意味ではこれも時代性が刻印された当時の小松左京が届けたかった作品なのかもしれない。
ちなみに解説には小松左京が京大生の頃描いていた漫画が1ページ載ってるから興味ある人はチェックしてみては。
オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』訳:小川亮作
キンドルアンリミテッドっていうか青空文庫版もあるのでどなたでもタダで読めます。訳も上の岩波文庫と同じです。
本詩集は十一-十二世紀のペルシアの科学者、哲学者にして詩人のオマル・ハイヤームによるもので、十九世紀にフィッツジェラルドの訳によって全世界に知られるようになった。その受容歴は訳者前書きを読んでもらうとして、何がいいってとにかく厭世的なボヤキなんですよね。
1
チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ
わが面影のいかばかり麗しかろうと
なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
土のうてなになんか飾ったものだろう?2
もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!3
自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?
オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』訳:小川亮作<『ルバイヤート』
どうです出だしからこのペシミスティックかつ反出生的な詩は。反出生主義についての本を読んだ時すでに本詩集を読んでいたら絡めて記事を書いたのだが。人間明るいコンテンツが逆に毒になる季節というものもあるもので、しくじった時落ち込んだ時はこういう暗いコンテンツを摂取してとことんまで落ち込むしかない場合もあるのではないか。「最近何読んでるの?」と聞かれた時「イスラム圏の有名な詩集でルバイヤートってのを読んでる。ペシミスティックな詩ばかりなんだけど、こういう詩が逆に薬になるときってあるんだよね」と答えるとなんか格好いいぞ。精神を心配されるかもしれないけど。
またこの『ルバイヤート』、未解決事件のマニアにはちょっと知名度が高いかもしれない。1948年オーストラリア、アデレードの砂浜でまったく身元がわからない男が穏やかに死んでいるのが発見された事件がある。男の所持品には身元を特定できる物はなく、ズボンの隠しポケットには「Tamam Shud」、ペルシャ語で「完了した」という言葉が書かれた紙片が入っており、彼が乗り捨てたと思われる車の後部座席には裏表紙に謎の暗号が書き殴られた詩集が見つかった。この詩集が『ルバイヤート』なのである。
この「Tamam Shud事件」についてはここのページが詳しいので気になった人は読んで欲しい。
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