【感想】四元康祐『偽詩人の世にも奇妙な栄光』詩はどこから生まれてくるのか

あまり熱心な読者ではなかったが私はこれでも子供の時から詩を読んできた。小学生の頃はマザーグースを読み、中学・高校生の頃は指輪物語などのファンタジー小説に出てくる唄を諳んじ、大学生の頃は『月下の一群』などを……今この文章を書いていて初めて気がついたが翻訳詩ばっかりだな。谷川俊太郎とか萩原朔太郎とかも読んでいたのだけどメインは翻訳詩だ。

そんな読書履歴があるからこの『偽詩人の世にも奇妙な栄光』に惹きつけられたのかもしれない。

といっても本書は詩集ではない。著者の四元康祐氏は現代詩の鬼才と呼ばれている人らしいが、不勉強ながら知りませんでした。現代詩の鬼才による初の「小説」である。だが小説といっても著者の自伝的小説であり、詩論、創作論のような内容を含んでいる。

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あらすじ

吉本昭洋は中学2年の時、詩に出会った。教科書に載っていた中原中也の詩だった。以来彼は、詩を愛するようになり、生活の大半を詩に捧げるようになった。しかし、彼は詩を作らなかった。いや、作れなかったのだ。詩を愛しながら、詩作の才能の欠如を自覚した彼は、大学卒業後、商社に入社し、ビジネスマンとして世界各国を渡り歩く生活を送ることになった。しかしその後、出張先のニカラグアで、ある衝撃的な事件に遭遇する……。
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鬼気迫る詩を産み落とすシーン

この小説の主人公、吉本昭洋は中2の時に中原中也に出会って詩にはまり、夢中になって詩を読むも、ついに自分自身で詩を作ることができなかった人間である。そんな彼は仕事で海外出張した先で行われていた詩祭に出会うのをきっかけに海外の詩を蒐集するようになっていく。そして自分自身で世に出すあても無く翻訳してみせる。

この翻訳の様子が非常に巧みというか生き生きとしていて読ませる場面だ。ついに自分自身でオリジナルの詩を生み出すことができなかったからっぽの人間が、他人の詩を翻訳することで産み落とした本当の詩。ずっと追い求めていたものが手に入った瞬間。

私は映画でもなんでも何かを作っているシーン、何かを産み落とすシーンが本当に好きで、例えば『アイアンマン』のスーツを作るシーンとか『スイス・アーミー・マン』のバスセットを作るシーンとか『サイタマノラッパー』のラストシーンとか観ていると夢中になる。本書のこの場面でもそうした優れた映画の創作シーンを観ているような気分になった。これは著者の実体験を元にしているらしい。

翻訳体験を通して詩の言葉を見つける印象的な場面に若き日の自身が重なる。「英語の詩を日本語に訳したときに異様な戦慄を味わったんですよね。翻訳というフィルターを介して、自分をいったん切り落とし空っぽになることで『もどき』ばかり書いていた呪縛から解放された。僕の詩の出発点でもある」
四元康祐さん 『偽詩人の世にも奇妙な栄光』 独創性とは? 実感込めて

詩論・創作論としての本作

吉本はその後、即興詩のイベントに参加し翻訳した詩で勝ち進み、現代の有名詩人と対決することで注目され、何冊も詩集や詩論を発表し詩界の大物になるも、彼が初期に翻訳した詩人がノーベル賞を受賞したことがきっかけで盗作が露見し、偽詩人の汚名を被り消えていくのだが、面白いのはストーリーの流れというよりその中で出てくる詩についての論議である。
まず吉本が大学生の時、後に対決することになる詩人のトークイベントに行く時に挟まれる一文だがちょっと読んでほしい。

この年の春先、生まれて初めて吉本昭洋は本物の詩人と出会っている。いや、もとへ。前言撤回。「本物の詩人」などという言葉を軽々しく使ってはなるまい。とりわけ「偽詩人」の生涯を辿るこの小分においては。そもそも誰が、どのような基準をもって、本物とそうでない詩人を区別するのか。「本物」の定義は曖昧である。はっきりしているのは「偽物」のほうだ。だが偽でないからといって本物だとは限らない。この点を追求してゆくと詩や文学作品一般の本質論へと行き着き、ついには言語そのものの機能と構造を論じざるを得なくなる予感がある。
四元康祐『偽詩人の世にも奇妙な栄光』 P35

読めばわかるようにこれはもう完全に「フリ」である。やめようやめようと言いつつ結局やるんですよねわかりますわかりますそういうの大好物ですワタクシとニヤニヤしているとヤッパリ作品はそこへ踏み込んでいくのだ。この期待のさせ方と着地の仕方はケチをつけるわけではないがあまりにも上手く行き過ぎていて面白すぎるくらいである。そういう意味で全体の構成性が高いというか詩人による作品らしさを感じ取れなくはない。

また吉本昭洋が本格的に世に出ていくきっかけになった詩人との対決イベントの評者コメントもメタ的というか現代日本の詩界で実際あるであろう意見の対決を書いているのであろうなぁと思わせる。詩界の長老格が吉本に対して言った「現代詩は書くものに主体がなけれなばならぬ。奴隷の音律に酔い痴れた後は反戦詩も書けず全体主義の片棒を担がされていた戦前の叙情派詩人の二の舞を踏むことになる」という評と、その反論として「主体や思想の枠に囚われているうちに日本の戦後詩は自由な軽やかさを忘れて読者を失ってしまった」という評は『月に吠えらんねえ』の読者としてはああやっぱりそういう反省と反動があるのねと考えさせられた。

詩についての小説だが、詩に関心がなくとも楽しめる一冊だと思う。逆に詩について詳しい人の見解も知りたいところだ。気が向いたら読んでみてほしい。

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