【読書】『ロボット・オペラ』ロボットをテーマにした分厚いSFアンソロジー

施川ユウキ『バーナード嬢曰く。 5巻』より

『バーナード嬢』の読んでない本を読んでいこうシリーズ、今回はSFアンソロジー『ロボット・オペラ』を読んだ。

本書はその時代時代の「現実のロボット」と「フィクションのロボット」の歴史についてまとめたSF作家・瀬名秀明の論述と、ロボット学者や作家など各界の研究者によるロボット関係の解説コラム、ロボットをテーマにしたSFの中短編26篇から成り立っている全700ページを超える分厚いSFアンソロジーだ。カレル・チャペック以前の神話に登場するロボット的存在から攻殻機動隊まで、論じられるロボット作品は多岐にわたる。中でも日本のロボット作品の代表としては『鉄腕アトム』が大きな存在として語られている。

「ロボット史」についての論述は文量たっぷりで、ロボットというテーマが人工知能から機械制御、産業用から家庭用まで様々な面から語ることができる題材なだけに様々なトピックを知ることができる。例えば現在AIブームが起こっているがこのAIブームは最初のものではなく、人工知能HALが登場した『2001年宇宙の旅』が公開され実際にいくつもの人工知能が作られていた60年代や、日本が世界市場でイニシアチブを取れる次世代コンピュータの開発を目指していた80年代など何度もAIブームがあったことなどが本書を読むとわかる。本書が執筆されたのは2003年のことだが、現在執筆されていたらアルファ碁やSiriについてもページが割かれていたに違いない。

現在執筆されていたら、といえば外せないのはボストン・ダイナミクスのロボットだろう。2005年にDARPA(米国防総省国防高等研究事業局)の出資で開発した四足歩行ロボット「BigDog」はその動きのキモさで度肝を抜いたがどんどん改良されていって、横から思いっきり蹴られてもバランスを取って倒れなかったり物を投げるアームがついたりと進化していることが動画から伝わる。音が大きすぎて敵に発見されるという理由で海兵隊には採用されなかったそうだが。

本書では日本のロボット開発が重点的に描写されており日本がロボットのデファクトスタンダードを目指すというようなことが書かれているが、2019年に公開された二足歩行ロボット「Atlas」の動画では下手な人間より軽快に飛び回る様子が確認でき、もはや本場はアメリカにあるんじゃないのと思ってしまう。

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収録作品が多いので、読んでいて特に面白かった、興味深かった作品についていくつか書いてみる。

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C・L・ムーア『美女ありき』

 そのとき機械が身じろぎをした、彼の記憶にあるあのたゆとうような優雅な身のこなしで。ディアドリの甘いハスキーな声が言った。
「あたしよ、ジョン。正真正銘のあたしでしょ」
 そのとおりだった。
C・L・ムーア『美女ありき』 訳 小尾芙佐

火災事故によって身体を失った絶世の美人女優ディアドリが機械の体で蘇った。しかし機械の身体になった人間は本当に生身の身体だった人間と同じ人間なのだろうか……という問いかけだけの話なのだが、古めかしいゴテゴテとした文体でコッテリ濃厚に中編のボリュームで描写されるといい味を出している。実際古いんだけど(1944年の作品)。

しかし人体の拡張による精神の変化というテーマは後のサイバーパンクを先取りしていたとも取れる。これでテーマをもっともっと膨らませていたらもっと凄い作品になったかも。

プロットより描写優先の作品で、何度もいうが古い作品なんだけどそれゆえのおどろおどろしさがいいなと思ったのだが、好き嫌いは人によって分かれるかな。でもだからこそ読んでみてほしい作品でもある。

ロジャー・ゼラズニイ『フロストとベータ』

 フロストは遺物を調べた。幼稚ではあるが、知的なデザインがうっすら認められる。機能的ではあるが、なんとなく純粋な機能からわきにそれている。
 人間が彼の趣味になったのは、このときからだった。
ロジャー・ゼラズニイ『フロストとベータ』 訳 朝倉久志

人類が滅びた後、残されたコンピュータたちが環境の修復と保全を行っている遠未来の地球が舞台の中編。北半球を統括する機械<フロスト>は出土品や本から人間に興味を持つようになり、やがて人間になることを試みるようになる……という話。

ロボットが人間とは何か? という疑問について答えを出そうとする話でもあり、人類が再び地上に新生する創世神話でもある。犯した罪により地上をさまようことになった<老いた鉱物破砕機>とか特に神話っぽい。

「ロボットが人間になる話」と言われると『アンドリューNDR114』を思い出すが、こっちは色々な意味でスケールが大きな話でまた面白い。登場人物が全員機械なこともあって一行で平然と50年経ったりする。

人間になろうとして芸術作品を作ろうとするのだが「既存の芸術品の複製は芸術とはいえない」「ある物体の正確な模写も芸術じゃない」「(無作為のパターンを利用した油絵に対して)芸術家は自分が重要だと考えた対象を自分の技法で描いたのでは?1)ドリッピング画法なんかどうなるのと聞きたくなるが、まああれも筆を振るうのは自分の意志だから完全に無作為ではない。」などと試行錯誤するのが可愛らしくもありもの悲しくもなる。なんだろうねこの感覚は。「健気」と類似しているけどちょっと違うジャンルの感情だが、ロボットモノにはこういう感情を読者に抱かせるものが多い。

R・A・ラファティ『素顔のユリーマ』

アルバートは、有史以来われわれに数々の面倒な重荷をしょいこませてきた、うさんくさい一党の仲間入りをした。そこにはバラエティ豊かな象形文字をおぼえることができず、低能にもわかるへんちきなアルファベットを考案した例の古代カルダゴ人がいた。十以上の数がかぞえられず、赤んぼうやのろまにもわかる十進数を発明した例の無名のアラブ人がいた。手軽な活字を世に出し、美しい写本を抹殺した例のあやしげなオランダ人がいた。アルバートは、そういう哀れな一党のはしくれだった。
R・A・ラファティ『素顔のユリーマ』 訳 伊藤典夫

「ドジ、まぬけ、うすのろ、阿呆」で何もかもまったくできないが、自分の代わりに何かをしてくれる機械を作ることだけはできる男、アルバート。彼は字が書けないという理由でペンにペンや鉛筆に取り付ける字を書く機械を作り、計算ができないという理由で足し算引き算から連立方程式を解く機械を作り、女の子がこわいという理由で自分の代わりに女の子がこわくない機械を作り……。

「無能なもの、欠陥があるものだけが発明をする」というネタからどんどん話を膨らませていくホラ話。逆説と話術が巧みで読んでいて楽しい。実生活ではダメ人間だけどモノ作りには抜群の才能を示すというのはギーグやハッカー的人物を想起させる。終わり方も終わり方だし予見的な作品だったのかも……。

ホラ話なんだけど社会とうまくやっていけないアルバートが、それでも自分の持ち合わせた技術で社会と関わり社会から認めてもらおうとする姿は刺さる人多いんじゃないかなぁ。

藤崎慎吾『コスモノートリス』

宇宙には様々な人々がいる。ほんの五百年ほど前まで、人間といえばHomo spiensホモ・サピエンス一種類しかいなかった。今でもホモ属は白い壁にへばりついて、細々と生きている。ごく少数が火星の赤い土にもしがみついている。しかしいずれにおいても絶滅寸前で、もはや人類の代表ではない。現在、太陽系で最も繁栄を謳歌しているのはコスモノートリス属の三八種だ。
藤崎慎吾『コスモノートリス』

宇宙での生活を進めていく上で、人工衛星を作ったりテラフォーミングをしたりして地球環境を宇宙に再現するより、人類を宇宙で生活できるように改造したほうが早いと気付いた人類は自らの身体を改造し生まれつきのサイボーグにして身体の中に完結した生態系を持った人類「コスモノートリス」を誕生させた。生まれつき外宇宙から呼ばれている感覚を持ったオッチョコチョイの少年(?)ロッコは恒星間宇宙線人に乗って外宇宙に飛び立つため土星を目指す。

ロボットモノかと言われると首をひねるし、本書でも「いずれ本作も優れたロボット小説として評価されるようになるだろう」と書いてあるのだが、世界観が面白い一作。『マンアフターマン』ではないけど人類が環境に適応してその姿を変えるってテーマは惹かれるものがある。人間が人間の姿から離れても全体的に前向きな少年向け冒険小説風なのも良い。未来像が退廃的なものだけっていうのは逆にもう古いよな。

脚注   [ + ]

1.ドリッピング画法なんかどうなるのと聞きたくなるが、まああれも筆を振るうのは自分の意志だから完全に無作為ではない。
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