【読書】モハメド・オマル・アブディン『わが盲想』来日した盲目のスーダン人による傑作エッセイ

前にエロシェンコの記事でちょっと触れたが、単独の紹介記事も書いてみる。


この本は19歳の時にスーダンから来日した盲人モハメド・オマル・アブディン氏が書いた青春期である。日本の盲学校に入って日本語や点字、鍼灸を学び、政治や法律の勉強をするため筑波技術短期大学へ進学し、そこから東京外国語大学に入って、NPO団体「スーダン障害者教育支援の会」を立ち上げ、友人の紹介で結婚し妻を日本に呼んで生活し……とエネルギッシュな半生が語られている。筆者は日本の盲学校が海外からの留学生を募集していることをこれを読んで初めて知りました。

スーダンの盲学校の先輩から日本留学の話を聞かされた著者は「視覚障害者に鍼灸なんてあぶなっかしい仕事をさせる日本はきっとさまざまな面で進んでいる。鍼灸をさせてもらえるぐらいだったら、きっと車の運転もへっちゃらだろう」と考えたらしいが、改めて考えてみれば盲人がマッサージ、針、灸の仕事をしているのはちょっと不思議な気がする。それにしても車の運転はないと思うのだが……。

パソコンの音声読み上げソフトを利用して書いたそうだが、日本語としてまったく違和感がない。おまけにちょくちょくくだらない駄洒落まで混じっている。日本語がほとんどわからない状態から来日して、数ヶ月でなんとか日本の盲学校に受け入れてもらえるほどになったのは凄いが、受け入れてくれた学校が福井県で方言の違いに面食らっていたくだりは面白かった。おやじギャグを使って同音異義語を覚えていくのもなるほどなとなる。デーブ・スペクターもおやじギャグを連発するし、外国人から見ると日本語の同音異義語の多さは珍しい特徴と捉えられるのだろうか。

しかし盲学校の授業は日常会話レベルの日本語ができればいいというわけではない。鍼灸を学ぶ上では専門的な医学用語も覚えなくてはいけない。日常会話としての日本語と、専門教育を受ける上での日本語を両方習得しなければならないのだからひどく苦労しただろうなと思う。本人も大変で最初の授業で泣いていたと書いているのだが、本書から感じる印象は全体的にカラっと明るく、「苦しさ」とか「辛さ」より先に「やってやるか」という爽やかな感じが伝わってくる。そこらへんは多分著者の人柄の良さなのだろう。

外国人の盲人という視点から書かれる日本の盲人のくらしや日本社会は面白いしタメになる。日本では反抗期を迎えた中学生は家の人間とあまり口をきかなくなるのを見て、スーダンでは全く逆にティーンエージャーは家族の中で存在感を見せようと自己PRが激しくなるというのは文化の違いを感じた。さらっと「大学時代の先輩で兄の大親友が学生デモをリードしたとして秘密警察に暗殺されて遺体を捨てられた」とか書かれたりして驚かされたりもするが。

軽くさらっと読めて面白く、ちょっと発見もある。エッセイにこれ以上何を求めるのかという話である。興味を持った人はぜひ読んでほしい。

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