先日エロシェンコの本を読んでいた時、彼が引用したバハイ教の経典とやらが訳注にイランで生まれたイスラム教の新興宗教と書かれていて気になった。イスラム教というと開祖ムハンマドががっちり固めた経典とイスラム法学者の出したイマームで厳格に管理されていて新興宗教の生まれる余地はなく、生まれてきても原理主義者だけというイメージをなんとなく持っていたからだ。
なのでちょっと調べてみた結果を記事にしてみることにする。
バハイ教の歴史
まずバハイ教をイスラム教の新興宗教と書いたが、どうもそれは正しくないらしい。今現在のバハイ教徒はあなたはイスラム教徒ですかと聞かれると否定するという。
だがイスラム教と全く無関係に生まれてきたわけではない。イスラムの一宗派から別れ分離独立したらしいのだが、ここらへんがちょっと込み入っている。
まずシェイヒー派からバーブ教が生まれる
まずセイエド・アリー・モハンマド(1819―50)という人が登場する。この人はペルシアのシーラーズ生まれで敬虔な商人だったのだが、12イマーム派の一学派で、神秘主義的な異端の学派シェイヒー派の指導者セイエド・カーゼム・ラシュティーと出会い影響を受ける。1843年がラシュティーが亡くなり、1844年にアリー・モハンマドの元を訪れたラシュティーとの弟子の問答の中でアリー・モハンマドは自分が真実への「入り口」、バーブであると宣言。アリー・ムハンマドの周りにシェイヒー派の信者たちが集まってバーブ教を形成する。
十一代目イマーム(開祖ムハンマドの血縁を継ぐイスラム教の指導者)が死んだのと同時に後継者の十二代目イマームも姿を消したのだが、この十二代目イマームは終末の日に再び姿を現し世界を導く救世主マフディーである。というのが12イマーム派の教義だ。バーブと名乗るというのはこの隠れイマームの代理人であるという意味だから宗教的インパクトは大きかったはずだ。ムハンマドが神の最後の使徒であるというのがイスラム教の正統な考えなのでバーブの言葉を神の言葉とし、コーランに代わる啓典まで作り始めたバーブ教は当然倒されるべき異端になる。
最初は中立だった政府も宗教勢力の反感に突き動かされ、1847年アリー・ムハンマドを逮捕。バーブ教の弾圧が始まる。1848年、指導者不在の中教団をどう導いていくかを決めるベダシュトの会議で、指導者の一人女性詩人のターヘレがバーブ教はもはやイスラム法に縛られることはないと宣言しヴェールを投げ捨てた。これは後のバハイ教の男女平等主義につながるが、イスラム世界ではかなりの過激行為であり多くの分離者を出した。そしてこの会議がきっかけに政府軍とバーブ教信者の衝突事件が起こっていく。
1850年にアリー・ムハンマドは銃殺。1852年にバーブ教徒が国王暗殺未遂事件を起こし大弾圧を受けたバーブ教は壊滅状態になる。
そしてバーブ教からバハイ教が生まれた
バハイ教の開祖ミールザー・ホセイン・アリー(1817―92)はバーブ教の重要な弟子の一人だった。彼はペルシアの貴族の出身で若い時から敬虔な篤信家だった。1844年、27歳の時すでに善行と篤信で知られた彼はバーブの弟子となった。貴族階級の彼がバーブ教に入信したのは教団にとって大きな加勢になったらしい。
1848年ベダシュトの会議に参加し、ミールザー・ホセイン・アリーはバーブ教徒それぞれに新しい名前を与え、自分は「栄光」という意味のバハーと名乗った。そして新しくバハーとなったミールザー・ホセイン・アリーにバーブは「神の栄光」という意味のバハー・ウッラーという称号を授ける。
1852年政府によって捕らえられ、テヘランのレアー・チャール(黒い穴)と呼ばれる牢獄に4ヶ月閉じ込められるがそこで宗教的体験をし神の啓示を受けた。彼は一族の影響力があって簡単には処刑できないので、出獄後イラクのバグダッドへ家族とともに追放された。そこにバーブ教徒の生き残りが集まってきて共同体を形成する。
この共同体にはバハー・ウッラーの異母弟であるミールザー・ヤフヤーがいて、バーブはヤフヤーをバーブ教の首領に指名していたが、多くのバーブ教徒はバハー・ウッラーの元に集まった。そしてバハー・ウッラーはバハイ教を作り、ミールザー・ヤフヤーはアザリー・バーフを形成。両者は袂を分かつことになる。
バハー・ウッラーはバハイ教の経典になる『確信の書』『最聖の書』を執筆、世界中の政治および宗教指導者に手紙を書いて送り、1892年に74歳で亡くなった。
死後長男のアブドル・バハーがバハイ教の首領になり、教団組織を発展させ、世界中を移動してバハイ教を布教していった。アブドル・バハーは1912年に亡くなり、アブドル・バハーの孫、ショーギ・エッフェンディが遺書によって指導者になった。
ショーギ・エッフェンディは祖父のように世界中を飛び回りはしなかったがバハイ教の聖典を英訳し、世界のバハイ教を管理する組織的な制度を整備していった。1957年ショーギ・エッフェンディは死亡したが子供はおらず、教団運営は「神の大義の手」と呼ばれる指導者たちによって行われるようになった。
バハイ教の教義
バハイ教の教義をバハイ教の日本語公式HPから引用してみる。
- 人間はすべてひとつの地球家族に属すること
- 真理を自分の力で探すこと
- 世界平和の達成
- あらゆる種類の偏見の排除
- 男女は平等の機会、権利、人権をもつ
- 世界のあらゆる国での義務教育の普及
- 科学と宗教の調和
- 極端な貧富の差の排除
- 世界裁判所の設立
- 国際補助語の採用
- 自国の政府に従うこと
- 宗教は世界の人びとを和合させるためにある
また『シリーズ世界の宗教 バハイ教』によると、「単一の言語、単一の経済による単一の世界連邦を目指す」とあり、エスペランティストのエロシェンコが惹かれたのも理解できる。理想主義と平和主義が同居していてユートピア思想のある人なら多くが入信しそうな宗教だ。
また同書には「バハイ教徒になっても、もとの信仰の放棄を求められることはない。」などと書かれていて驚くのだが、続く文章を読むとなんとなく意図がわかってくる。「新しい宗教的理解の開陳が要るだけである(中略)すべての宗教は単一の神の摂理の顕現にすぎない。バハイ教徒にとって、信仰とは各自のもとの信仰の聖約を守ることでもある」つまりアレだ。仏教もキリスト教もイスラム教も根っこは同じというパターンだ。前回の記事で内村鑑三が武士道や儒教の中にキリスト教精神を見出したり松村介石が主な宗教に共通する四綱領を見出したと書いたが、バハー・ウッラーも同じようなことをしたのだろう。
この記事は主に
と
を読んで書いた。
でもウィキペディアと微妙に食い違ってたり前後関係がよくわかんなかったりしてやっぱ1、2冊の本だと限界がありますね。バハイ教の本、イラン現代史、ウィキペディアで人名表記が全部違うのでややこしかった。もっともこれ以上深く調べるとなると面倒なのでDone is better than perfectの精神で記事にしてしまうことにする。