映画『オオカミの家』映像の暴力性に満ちた最強に禍々しいストップモーションアニメ映画

海外のアート寄りストップモーションアニメ映画ながら日本でもSNSで広がり大ヒット、はじめ全国だった三館の公開館がどんどん増えていった映画『オオカミの家』。私も評判や予告編をみて面白そうだなーと思って行ったのだが、これがとんでもない映画でしたよ。

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映画『オオカミの家』とは?

この映画の最大の特徴は「家の中の空間そのものをキャンバスとして作られたストップモーションアニメ」ということだ。どういうことかというと、映画は常に家の中で撮影され、壁に描かれた絵と、木材などで作られた造形物の両方で画面が構成されている。二次元の絵と三次元の造形物が相互に影響しあって動き、一つになって映像を成すのだが、これが人間の認知能力、大きさや奥行きや運動を認識する機構に大幅な負担を与えつつハックし、観客は類を見ない映像体験をすることになるのだ。

これがもう観ていて非常に疲弊するのだが、一瞬も目を離すことができない映像でぜひ映画館で鑑賞してほしい。アート系アニメや映画が好きな人、「ビックリ」に頼らない不気味なホラーが好きな人だったら必見の映画だ。

『オオカミの家』公式サイト

あらすじ

ブタを逃した罰に耐えきれずコミュニティから逃げ出した少女マリアは、森の中の小さな家を見つけそこに住む2匹のブタに出会い、1人と2匹で生活をはじめる。マリアはペドロとアナと名付けたブタを人間へと変化させるが、家には森の奥からオオカミの声が響き、彼女らの暮らしは悪夢のように変貌していく。

これだけのあらすじじゃ何もわからないだろうし、別にわからずに見てもめちゃくちゃ面白いのだが、この映画は「ある実在のコミューンが作ったプロモーション映画、という設定」で作られたということと、その実在のコミューンが酷くヤバい集団だったということを抑えておくと、わかったような気になるかもしれない。私は事前情報をほとんど調べず観たのでまずその感想から書く。背景などは記事後半から。

アニメーションの暴力性をむき出しにしてくるような作品

本作を鑑賞していて感じるのはアニメーションというもの、映像作品というものの本質的な暴力性だ。

アニメとは絵に「命を吹き込む」ものだと一般的に言われているし我々は純粋にそう信じている。だがそれは正確ではない。より正確にいうならば「命が吹き込まれている<ように見えてしまう>」のがアニメなのだと『オオカミの家』を観ているとわかってしまう。

本作を観た観客はアニメーションとは人間の認知機能をハッキングする暴力的な技術なのだということを思い知ることになるだろう。本来ならば何も連続していないモノが連続しているように、本来同じ次元にはないはずの壁に書かれた二次元の絵とそこに置かれた三次元の造形物がひとつの画像に、一秒間に何十回も断裂されているはずのフィルムが一つのショットに、観客はそこにイメージと運動を<みてしまう>。

あえて荒く、完成度が低めの造形で作られているのも暴力性を拡大させている。明らかにペンキを塗り直した後があるのに、平気で内装の上から絵を描いているのに、明らかに造形物と絵画に次元の違いがあるのに、それでも観客は一つの統合されたアニメとして映画を観てしまうのだ。だからそこまで含めて相当に周到な作品と言える。

映画本編が終わり、普通にスタッフロールが流れ始めた時に癒やしを感じたのははじめてだった。もしもスタッフロールまで家の壁に描かれて流れていたら気が狂ってたね。

*

映像すべてがカットを割らず、ひとつの長回しショットとして制作された映画なのだが、見ながらコレどういうコントロールの元に作られたんだと頭がおかしくなりそうな展開もあった。

「ここは逆回しで撮ってて、でも前の動きとつなげるためには画面を合わせる必要があるわけで、だとするとアレ? 全部完全に絵コンテ作ってるのか?」などと考えながら観ていたのだが、なんとかなりの即興性を以て映画は制作されていたらしい。マジかよ。

レオン:「絶対的な計画性の無さ」というのはちょっと言い過ぎたかもしれません(笑)。大きな振り幅を持って即興性を大切にした作り方をしているため、この映画に関しては通常の脚本は作っていません。その代わりに三つの大切なことを決めました。
一つは各シーンでストーリーボードを作ること。そんなに細かいものではなく、各シーンそれぞれ20枚程度作りました。二つ目は、この映画が大きく外れないよう10個の規則を作り、それを必ず全員で守っていこうというもの(中略)。そして三つ目は、マリアが映画の中で話すセリフ(ナレーション)です。この三つを中心に映画を作っていきました。実際にアニメーションの部分が出来上がってくると、用意してセリフは当初想定していたシーンではなく、違うシーンで使った方が良い場合も出てきた。その辺は即興性を持たせて柔軟に対応しました。
『オオカミの家』クリストバル・レオン & ホアキン・コシーニャ監督 フレーベル館の童話集に影響を受けたよ【Director’s Interview Vol.342】

各シーンのストーリーボードはあるにしろ、出来上がった映画からは即興性を持たせて柔軟に(いきあたりばったりに)制作されたものとは到底思えなかった。これもまた繋いでしまえば最初からそういうものだとしか思えなくなるという映像制作の暴力性だろうか。

*

最後アンチクライマックスというか、突然オオカミさんのお陰でマリアは助かりコミュニティに戻りましためでたしめでたし、みんなコミュニティの外に出てはいけませんよのエンドには観ていてプロパガンダ臭を感じざるを得なかった。それは元ネタを考えると当然だったのだが。

地獄絵図が濃厚に描かれた後、なんか急にあっさりと嘘くさくハッピーエンドになるのは蟹工船のようですね。

映画の元ネタになった実在のコミューン「コロニア・ディグニダ」とは

コロニア・ディグニダ(スペイン語: Colonia Dignidad)は、チリ共和国マウレ州リナレス県パラル(英語版)にある、1961年に開墾されたドイツ系移民を中心とした入植地の旧名称。
現在名はビジャ・バビエラ(Villa Baviera/「バイエルン州風ビラ」の意味)。元ナチス党員で、アドルフ・ヒトラーを崇拝し、子どもに対する性的虐待でドイツを追われたキリスト教バプテスト派の指導者、パウル・シェーファーらが設立した。
Wikipediaコロニア・ディグニダ

レオン:パウル・シェーファー(*2)がコロニーのプロモーション映像を作ったらどうなるだろうと、このプロジェクトは始まりました。
『オオカミの家』クリストバル・レオン & ホアキン・コシーニャ監督 フレーベル館の童話集に影響を受けたよ【Director’s Interview Vol.342】

映画を見ていて感じた通り、というか映画冒頭で言ってしまっているのだけど、実在のカルト団体の架空のプロパガンダ映像だったわけだ。冒頭の「私たちはチリの自然と調和するドイツ人コミュニティで、その生き方を伝えるためこの映像を作りました」などと語っていたナレーションの声が、コロニア・ディグニダ(「尊厳のコロニー」の意味)を創設したパウル・シェーファーの声と考えていいだろう。

ブラームスがドイツ民謡をアレンジした『眠りの精』が劇中で印象的に使われているのも元ナチス党員が設立したコミュニティである故と考えられる。しかし子守唄があんなに不気味に響くとはね……。

このコロニア・ディグニダを扱った連載では、シェーファーは元親衛隊と名乗っていたが実際は隻眼を理由に入隊を拒否され、戦後聖職者の皮を被り男児を性的に餌食にしていたが、レイプ被害を訴えられ南米チリに逃亡した……などと詳しい経歴が書いてあって参考になる。事前に詳しい情報を入れたいというなら読んでおくといい。しかしなぜファッション系ニュースサイトでこんなガチな歴史記事が……。

シェーファーのコロニア・ディグニダはチリの政治的混乱を糧とし、社会主義的なアジェンデ政権への反政府運動に協力し、クーデターによって権力を握ったピノチェト政権1)ちなみにアメリカはここでも社会主義政権を倒すためにクーデター勢力に協力するが、結局制御できなくて飼い犬に手を噛まれるという、CIAお得意の失敗パターンをやらかしてます。と蜜月の関係を築いていたことなどの詳細が上記の記事で記述されている。

ピノチェト政権はクーデター準備のための武器輸入から少年を性的拷問していたノウハウを活かした左翼活動家への拷問、鉄道建設や金資源の採掘までもコロニア・ディグニダに委託していたのだから、その異様さとシェーファーの持つチリでの権力の大きさがうかがえる。カルト集団と国家が結びついた逃げ場のない感は恐ろしいものがある。オウム真理教と日本政府が密接に手を組んだくらいのことがチリでは起こっていたということか。

シェーファーはピノチェト政権が倒れたことと、洗脳から逃れた少年がシェーファーを告発したこと、コミュニティから脱走した少年がドイツに棒面して承認として被害届を提出したことでチリにもいられなくなりアルゼンチンに逃げるのだが、最終的に2005年3月に逮捕され刑務所に入ることになった。

カルト団体の閉鎖性や暴力性については以前アマゾンプライムでドキュメンタリー番組を観て記事にしたが、このコロニア・ディグニダを取り扱ったドキュメンタリーもネットフリックスで公開されているようだ。

また、コロニアを舞台にした映画もエマ・ワトソン主演、フロリアン・ガレンベルガー監督『コロニア』や、マティアス・ロハス・バレンシア監督『コロニアの子供たち』などが制作されていて、後者はアマゾンプライムで観ることができる。


コロニアの子どもたち
コロニアの子供たち

元劇中人間になったブタがメアリの「蜜」で金髪になってるのは元ナチスだからアーリア人種の品種改良の暗喩かと思っていたが、どうもシェーファーの好みが金髪のウェーブヘアーの少年だったこととも関係ありそうだ。逃げ出したマリアがブタを人間に変貌させるのは長年カルト集団で暮らしていたため、その規範を内面化してカルト集団を再生産してしまうことの描写になってるし、マリアが結局最後にオオカミに助けを求めるのはカルトから逃れることが非常に難しいことの証明でもある。カルト集団のプロモーションムービーだが、そこに無自覚に集団のヤバさが出ているという仕組みになっていてそこの塩梅も非常に上手い。

事前知識は別にいらない派

ただプロパガンダムービーって基本的に底が浅いもので、その線で『オオカミの家』を読み解くと「『おそとにでてはいけません。コミュニティのそとはこわいことでいっぱいなのです。おそろしいことがあったらオオカミさん(コミューンの指導者)にたすけてっていおうね』という洗脳教育やってるカルト集団怖え」くらいのことしかない。そりゃあカルト集団は怖いし恐ろしいが、自分にとっては人間は認知システムによって世界を認識するけど、そのシステムにはセキュリティホールがいっぱい!って方が恐ろしい。……いやこの認知システムのセキュリティホールもある意味洗脳の怖さではあるが。

だから元ネタを知ればより怖いという意見にはやや懐疑的。マリアを取り囲む悪夢は我々自信を常に取り囲んでるものであり、あらゆるカルト集団から距離を取っても絶対に逃れられないものなのだ。いやジャニーズ事務所のことではなくね。認知システムという檻の中に我々はいるということが真に恐ろしくはありませんか?

コロニア・ディグニダのことをこの映画から読み取るよりその表現自体に酔うという方が自分としてはいい鑑賞だとは思う。カルト集団の恐ろしさを知るのはドキュメンタリーを観たほうがいいのではないか。

監督のレオン&コシーニャはチリ出身のアーティストで、長編映画はこれがはじめて

2007年から活動をはじめた二人組のビジュアル・アーティスト。ともにチリ・カトリック大学を卒業。レオンはベルリン芸術大学とアムステルダムのDe Ateliersでも学んだ。映像作家のナイルズ・アタラーとともに、映画制作会社Diluvioを設立している。
ラテンアメリカの伝統文化に深く根ざした宗教的象徴や魔術的儀式を、実験映画として新しい解釈で表現している。映画制作のために、写真、ドローイング、彫刻、ダンス、パフォーマンスなど、さまざまな技法を組み合わせている。彼らのストップモーション映画は、洗練されていない映画的言語が特徴である。張り子の人形や無邪気な絵は、映画が扱う宗教、セックス、死といった重いテーマと強いコントラストを成している。 彼らは各所で受賞歴があり、また、彼らの映画はロッテルダムやロカルノなど世界中の国際映画祭で頻繁に取り上げられている。展覧会も、ラテンアメリカの美術館やビエンナーレのほかに、ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリー、ニューヨークのグッゲンハイム美術館、ベルリンのクンストヴェルケ現代美術センター、ヴェネチア・ビエンナーレ(2013)、スイスのアート・バーゼル(2012)などで開催されている。
『オオカミの家』公式サイト

本作がSNSを通して広がったのは、『ミッドサマー』の監督アリ・アスターが絶賛し、自身の最新作『Beau is Afraid』内のアニメを彼らに依頼したというエピソードも大きいだろう。あの『ミッドサマー』の監督が夢中になって一晩に何回も観てしまったというお墨付きというわけだ。それで実際観てみたら他にないような映像体験ができるのだからそりゃ評判になる。

ミッドサマー

制作期間5年、制作過程を公開しての撮影

撮影場所は、チリ国立美術館やサンティアゴ現代美術館のほか、オランダ、ドイツ、メキシコ、アルゼンチンにある10カ所以上の美術館やギャラリー。実寸大の部屋のセットを組み、ミニチュアではない等身大の人形や絵画をミックスして制作、制作過程や制作途中の映像をエキシビションの一環として観客に公開するという手法で映画を完成させた。企画段階を含めると完成までに5年の歳月を費やしており、ワールドプレミアとなった第68回ベルリン国際映画祭ではカリガリ映画賞を、第42回アヌシー国際アニメーション映画祭では審査員賞を受賞するなど世界各国で数々の賞を受賞している。
『オオカミの家』公式サイト

本作の制作過程を各美術館で展示したというのも、新しい試みで興味深い。『ひつじのショーン』展とか『PUI PUI モルカー』展とかストップモーションアニメの造形物展示はあるけど実際に作ってるところを公開するのは他にないのでは? ネタバレとか安全性とかの問題はあるけど制作手法としてもプロモーションとしても新しくて流行るかもしれない。

レオン&コシーニャ監督の他映像作品

Youtubeでレオン&コシーニャ監督が映像作家のナイルズ・アタラーと設立した映画制作会社Diluvioの短編映画を観ることができる。


この『LUIS』や『LUCIA』も『オオカミの家』のように壁に描いた絵が動く手法で撮影されている。「籠の中の鳥」という『オオカミの家』にでてきたモチーフが出てきているのは見逃せないが、プロジェクションマッピング的に壁にアニメを描いているだけで、『オオカミの家』のように造形物と合わせて一つの画面にしている感はあまりない。


『EL ARCA』のこの人形は『オオカミの家』の造形物と同じタッチ(って造形物の場合なんていうんですかね。鑿致さっち?)だが、予告編だけだと絵との相互作用はなしか?

脚注

脚注
本文へ1ちなみにアメリカはここでも社会主義政権を倒すためにクーデター勢力に協力するが、結局制御できなくて飼い犬に手を噛まれるという、CIAお得意の失敗パターンをやらかしてます。
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