透明マントとイノベーションと

 最近読んだ『透明マントを求めて』という本が面白かったので、最近の実学重視の大学改革が必要という流れと絡めて紹介したい。

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大学の専門学校化は正しいのか?

 何年か前から大学を専門学校化するべきという意見が増えてきた。なんの役に立つかわからない学問より、今求められていてすぐに役に立つことをやれ、産学連携によるイノベーションを、などという題目が掲げられている。

無償化は格差の固定化を防ぐための政策であり、対象はそれに役立つ大学、つまり「企業が雇うに値する能力」の向上にとり組む大学に限るべきだといった考え方である。内閣官房の担当者は「真理の探究をやるので実務は関係ないという大学に、公費で学生を送るのは説明がつかない」と解説する。
(社説)大学改革 目先の利益傾く危うさ

何に役立つかわからなかったものが後に重要だったりする

 主張している本人たちは真面目なのだろう。しかし、私たちが当たり前に利用している科学技術もその理論を発見した段階では何に利用できるか、どれくらい役に立つのかはわかってなかったものは多いし、個人的な興味を追求した研究者が人類に有益な業績を残すこともある。発電機などの原理になっている電磁誘導の法則を発見したファラデーは前者で、梅毒の特効薬サルバルサンを発見し化学療法の創始者となったパウル・エールリッヒは後者だ。

 目先の利益や短いスパンでの結果を求めていると、むしろイノベーションや大きな利益を逃すかもしれない。

『透明マントを求めて』

 『透明マントを求めて』は昔話やファンタジー小説・SF漫画に出てくるような姿を消す魔法を実現させようとして、人類がどんな技術を生み出してきたかの歴史を科学的に追っていく本だ。

鏡を使ったマジックや、ステルス戦闘機などの解説から入るのだが、ここで特に紹介したいのは「メタマテリアル」ができるまでの経緯だ。

「メタマテリアル」とは

 メタマテリアルは日本語でいうと「超越物質」、物質の屈折率を自在に操れるという点で自然界に存在する物質を超越しているのでこの名前が付けられた。

 どのように屈折率を変化させるのかというと、光というのは電磁波の一種で、電場と磁場が交互に混ざり合って伝搬していく。物質の電場の揺れやすさを表したものを誘電率、磁場の揺れやすさを表したものを透磁率といい、この2つによって屈折率が決まる。

 2つの率はどうやって決まるのかというと電子分極と磁気分極によって決まるのだが、高速で振動する光の磁場に対して、物質の磁気分極が追いつかないため、普通の物質の透磁率は真空と同じ率をとってしまう。そこで透磁率を変えることが重要になるわけだが、光の振動に追いつくような磁気分極をする原子を作ることは難しい。しかし磁気分極を起こしている原子のように作用する構造体を作れば、透磁率を変えられる、というアイディアで作られたのがメタマテリアルなのである。

 この理論に基づいて2006年に論文を書き、実際に透明装置を作ったジョン・ペンドリー教授は0からこのメタマテリアルを考えたのではない。昔読んだ「負の屈折率を持つ物質の特性」という論文に出てくる「負の屈折率」を実現したいという夢を叶えるために作られたのがメタマテリアルなのだ。

1968年に生まれた概念「負の屈折率」

 「負の屈折率」という概念は1968年にソ連の科学者ベセラゴによって提唱された。「負の屈折率を持つ物質の特性」は、自然界には負の屈折率を持った物質は存在しないが、もしそういう物質があったらどんなことが起きるだろうかについて考察した論文で、もちろん当時のベセラゴはそんな物質が実現するなんて思っていなかった。

すでに科学アカデミーを退職し、モスクワ物理工科大学の教授になっていたベセラゴは、メタマテリアル誕生の瞬間を振り返って次のように語っている。
「この理論を提案したとき、自分が考えた物質が実現されるとは全く思っていなかった。まさかこんな日が来るとは驚きだ。私の人生の最高の瞬間は、自分の理論がメタマテリアルを使って実証されたときだ。あれは何物にも代えがたい喜びだった」
『透明マントを求めて』雨宮智宏

今切り捨てられる研究の中に40年後の宝があるかもしれない

 1968年の論文で提唱された理論が40年の時を経て実現されたのは驚きだが、こうしたことは現代でも同じように起こっているかもしれない。今すぐ役に立たないからといって大学から取り除こうとされている研究が、何十年後とんでもない発見を生み出さないと誰が言えるのか? ベセラゴが考えてもいなかったように現代の研究者でもわからないだろう。

 「科学者はその研究が役に立つかどうかアピールすべき」という意見も学問の実態や歴史について知らないから言える発言だと私は思うのだ。役に立つかどうかは時間が経ってみないとわからないことはある。今役に立たないから、何に利用できるか説明できないからという理由で研究を整理すると、かえって大きなイノベーションの芽を摘み取ることになるのではないか。

 他にも『透明マントを求めて』には、曲がった空間について記述する「リーマン幾何学」や、アインシュタインの「重力場の方程式」など宇宙物理学の研究が、「屈折率分布を持った物質中の光の進み方」という工学の研究へと結びついたという面白い話もあるのだが、これは実際読んでみて欲しい。

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