SF作家ロバート・A・ハインラインは右翼なのか?

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ハインラインの思想性について考えてみたい

 「ハインラインはファシズムを肯定する右翼なのか」という論争があった。あったらしい。なにせ論争が起こった当時はベトナム戦争の時代。筆者の私にとっては生まれる前の出来事だ。当然どんな論争が起こっていたのか知らないし、ハインラインの作品を読んでファシズム的と考えたことは特にない。なので論争について調べた上で、自分なりに導き出した「ハインラインってこんな感じのおっさんだったんじゃないかな~」って結論を書いておきたい。

そもそもハインラインってどんな作家?

 SFに特に興味がなく、予備知識のない人のために簡単にロバート・A・ハインラインについて説明しておこう。

 ハインラインは1907年生まれ、1988年にこの世を去ったアメリカのSF作家だ。多くの作品を世に出したベストセラー作家で、『われはロボット』のアイザック・アシモフ(個人的な推し作品は『永遠の終り』)、『2001年宇宙の旅』・『幼年期の終り』 の アーサー・C・クラークと並んでSF界のビッグスリーと呼ばれているほどの大御所だ。

 しかし、日本においては『夏への扉』の作者というのが一番通りがいいんじゃないだろうか。タイムトラベル、文化女中器、そして猫の護民官ピートが登場するこの作品は”初心者向けSF○○選”みたいなトピックでは必ず入っているし、日本のSF小説オールタイムベストではだいたい上位をキープしている。実際筆者も最後の文章

ただし、ピートは、どの猫でもそうなように、どうしても戸外に出たがって仕方がない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。そしてもちろん、ぼくはピートの肩を持つ。
『夏への扉』ロバート・A・ハインライン 福島正実訳

に素敵な読後感を得たことを覚えている。

 また、地球連邦の植民地の月が独立を目指す『月は無慈悲な夜の女王』は『機動戦士ガンダム』のジオン独立戦争のあらすじまんまだし、モビルスーツは『宇宙の戦士』に出てくるパワードスーツから生まれた人型の量産軍事兵器というアイディアが元になっていたりと、日本のサブカルに大きな影響を与えた作家としても有名である。

ハインラインの『宇宙の戦士』をめぐる論争

 『宇宙の戦士』は人類が太陽系を超えて植民を始めている未来、高校を卒業した主人公のジョニーが軽い気持ちで軍に志願し、厳しい訓練を受けて一人前の機動歩兵になり、蜘蛛型の異星人との戦争へ向かっていくという小説だ。子供だった主人公が試練を乗り越え一人前の男になるというわかりやすい成長物語なのだが、軍歴のあるものしか参政権を与えられない設定や作中で語られる「暴力は歴史上最も多くのことに決着をつけてきた」や「義務を果たしてこそ権利が得られる」などの思想が物議をかもした。

 こうしたファシズムなのかどうかとは別に「SFはどういうものであるべきなのか?」という論争も活発に起こっていたらしいがそこに踏み込むと泥沼になるので今は立ち入らない。

 日本でこうした論争が起こったのはタイミングのせいもあったと思う。原作がアメリカで刊行されたのは1959年、ベトナム戦争が始まる前だ。日本で翻訳されたのは1967年でベトナム戦争が始まった後になる。ハインラインが1966年に書いた(邦訳は1969年)『月は無慈悲な夜の女王』では主人公たちは地球連邦からの月植民地の独立を目指す革命家で、組織の広がり方にはどこか共産主義者的・無政府主義的な匂いがただよう。

ハインラインはとにかくいろんな主義者にされる

 ハインラインを思想的にいろんな事を言われている作家だ。月の植民地が地球に独立戦争をしかける『月は無慈悲な夜の女王』は社会主義的と言われているし、一人の青年が軍隊に入って厳しい訓練と実践を経て成長していく『宇宙の戦士』は右翼的と言われている。『異星の客』はヒッピーの聖典になったし、『栄光の道』は反戦を主張していると読まれていたりする。フェミニズムにも敵なのか味方なのかわからないというようなことを言われていて事態は混乱するばかりだ。一人の作家が書いた作品群がそんなにバラバラな思想を同時に表してるなんてことあるだろうか?

ハインラインの作品の共通点

 でもハインラインの多くの作品には共通点がある。わかりやすく表を作ってみた。

作品名 主人公・味方 敵役
夏への扉 設計家のダン 実業家・法律家のマイルズ
月は無慈悲な夜の女王 コンピュータ技師のマニーたちが広げた革命組織 月植民地を支配する地球連邦政府
異性の客 火星人に育てられた地球人ヴァレンタイン・マイケル・スミス
(地球での暮らしをサポートするのが作家ジュバル・ハーショー)
火星の利権を狙う様々な権力者たちと火星人の価値観を拒絶する大衆
魔法株式会社 建設業者のアーチイたち 州議会を通して魔法の独占を目論む悪魔
ウォルドゥ 先天性の筋力障害をもつ天才エンジニアのウォルドゥ 特に無し
天翔る少女 女性宇宙船船長を夢見る少女
(機械いじりの得意な天才児の弟がいる)
特に無し

 この表を見てみると、主人公もしくは主人公の味方は技術者、あるいは作家、そして実業家や世界を管理しようとする政府が敵側として書かれてることがわかる。そしてこの構図こそがハインラインの信じていたものなのではないだろうか。

ハインラインの思想、そしてアメリカの保守思想

 簡単にまとめるとこうだ。「実際に体を動かしたり、何かを創り出したりする奴が偉い!出来上がったものを管理したりするだけの奴はダメ!悪いことを企んでる!」

 こう一言に表すとすっごく素朴な感じだ。でもこの考えを念頭に置いて読んでいくとどんな作品も筋が通っているのだ。『月は無慈悲な夜の女王』では月の資源を掘り出しているのは月の市民なのに月の行政府はそれを安く買い叩いている。月を支配している行政府を打倒し、地球連邦の管理下から脱出せねばならない。『宇宙の戦士』は人類の平和と安全を守っているのは暴力=軍である。兵役をこなさずに権利だけを享受するのは許されない。『夏への扉』は優秀な設計家のダンが友人で実業家のマイルズと経営方針を巡って争い会社を追い出される。などなど……。だからハインラインを単純に右翼・左翼というカテゴリで捉えるのは間違っている。ブレていると言われることもあるが一貫しているのだ。

 このハインラインのスタンスは彼のSF作家になるまでの経歴から生まれたものでもあり、同時にアメリカ的とも言える。

 ハインラインは海軍兵学校を卒業後、海軍士官となり、退役後は大学院で数学を学ぶが中退、不動産のセールスマンや政治家、銀鉱の作業員などの職を転々としている。現場の技術者としての体験がSF小説や思想に活かされたのだろう。大学で研究員の傍ら執筆活動をしていたアシモフや科学解説者としても有名なクラークのような学術畑とは育ちが違うのである。

 身につけた技能によって世を渡っていく個人と抑圧し管理しようとする権力者という構図はアメリカ大陸に移民してきた開拓者と植民地支配していたイギリスという構図に重なって見える。ハインラインの精神はそうしたアメリカの古くから続く思想に通じているんじゃないだろうか。それは保守思想であれど、体制側に与するものではない。自立した個人の主体がまず根本にあるからだ。

われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づい て正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったと きには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が 最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の 権力を組織する権利を有するということ、である。アメリカ独立宣言

 このハインラインの思想はアメリカの反知性主義と同じところから発しているのだろう。「反知性主義」とは最近日本ではバカの言い換え語として使われているが、本来は机上の空論を並べ立てる象牙の塔にこもったエリート知識人より、現実世界を生きる一般人の方がずっと知恵を持っているんだという反エリート主義のことだ。

 こうした自由主義的なアメリカの保守思想はその後変質していったのだが、ハインラインの作品にはそうした負の側面が現れることはなかった。アメリカの理想が個人の自律の理想と重なる古き良き時代を最後に生きれたおっさんの一人、それがハインラインだったのだと思う。

でも女性観は現代の目から見ると厳しいかも……

 しかし、男女平等的思想がだいぶ進んだ現代から見ると女性の書き方はちょっと厳しいかもしれない。『月は無慈悲な夜の女王』では月世界の女性の少なさから女性はかなり社会的に尊重されており一夫一妻制ではない結婚制度が作られたり、『異性の客』など当時流行っていたフリーセックス的思想を取り上げた作品も多く決して女性蔑視主義者ではないのだが、生き生きとしたステレオタイプではない魅力ある女性キャラクターというのが少ない気がするのだ。

 読んでいてひどいと思ったのが『天翔る少女』。女性宇宙船船長を夢見る少女が主人公のジュブナイルなのだが、彼女がどこにいっても活躍しない。最終的には植物状態になってしまう。冒険するのも成長するのも天才児の弟で、こいつはハインラインの好きな技術者系キャラクターだ。

ステレオタイプに堕さない、単に価値観の通じぬ他者としてのみ存在する物語の装置以外の内面を持つ女性を魅力的にかける男性作家の方が少ないだろうという反論もあるが、それでももうちょっとなんとかなったんじゃないかな、と思う。

 当時の論争について調べるため使用した資料はコチラ

 ただこの本から別の面白いことを見つけたのでいずれそのことについても書けたらなと思っている。

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