幻影の城主―江戸川乱歩における幻想の脆さ

この記事には話のイキサツ上、江戸川乱歩作品のネタバレが多量に含まれます。

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江戸川乱歩と言えば怪奇・幻想小説

 江戸川乱歩と言えば何が浮かぶだろうか。推理小説作家としても知られているが、幻想・怪奇の作家としても大きな存在感を放っている。現在のファンは後者の面に惹きつけられている人が多いだろう。『押絵と旅する男』『蟲』『パノラマ島奇談』などが有名だ。

自称して「幻影の城主」

 自序『幻影の城主』で江戸川乱歩は現実の世界より幻想に惹きつけられる自分の性質と、幻影の城主になることを望むようになった思い出を書いている。

社交術でも腕力でもあまりの弱者であった少年は、現実の、地上の城主になることを諦め、幻影の国に一城を築いて、そこの城主になってみたいと考えた。町内のどんな腕白小僧にも、幻影の城を攻め亡ぼすすべはなかった。イヤ、かれにはその城への雲の懸け橋を登ることさえ全く思いも及ばないのであった。江戸川乱歩『幻影の城主』 30P

 「現世は夢。夜の夢こそまこと」乱歩がサインを求められると好んで色紙に書いていた言葉だが、彼の作品の雰囲気をよく表している。

「幻影』の儚さを理解していたのも乱歩

 しかし乱歩の作品を色々読んでいくと、幻想賛美とは真逆のベクトルを持った作品がいくつか書かれているのに気付くだろう。

 私が気付いた切っ掛けは『赤い部屋』だ。

 異常な興奮を求めて七人の男が集まった「赤い部屋」。男たちの前で新入会員の男Tが話し出すのは、退屈を紛らわすために今まで九十九人の人間を殺してきたという身の上話だ。好意を装って間違った指示、忠告をすることで死に追いやってきた手口を語ったTは、赤い部屋の給仕の女性を騙して自分を撃たせ、これが百人目の殺人なのだと七人の会員に理解させる。

 しかし話はそこで終わらない。Tは押し殺した笑い声とともに起き上がり、今までの話はすべて作り事であり今撃たれたのも給仕女と共謀して行ったお芝居であると種明かしをする。そして、これがあなた達の求める刺激になるのではと明るい照明を照らし「赤い部屋」の空気をぶち壊して小説の幕を閉じる。

突如真昼の様な電燈の光が、私達の目を眩惑げんわくさせた。そして、その白く明るい光線は、忽ちにして、部屋の中に漂っていた、あの夢幻的な空気を一掃してしまった。そこには、曝露ばくろされた手品の種が、醜いむくろを曝していた。緋色の垂絹にしろ、緋色の絨氈にしろ、同じ卓子掛テーブルかけや肘掛椅子、はては、あのよしありげな銀の燭台までが、何とみすぼらしく見えたことよ。「赤い部屋」の中には、どこの隅を探して見ても、最早や、夢も幻も、影さえとどめていないのだった。江戸川乱歩『赤い部屋』

 ラストには一切触れず、Tの所業の恐ろしさや作品の始まりの頽廃した空気感について書かれている感想も多いが1)一応ミステリなのでネタバレ回避という意味もあるかも、急に夢から叩き起こされたような終わり方に呆気にとられたのは私だけではないだろう。

 そもそもの探偵小説デビュー作の『二銭銅貨』を思い出して欲しい。中空の二銭銅貨に隠された暗号を解読し大金を手に入れたと夢中になって熱弁する松村に対して主人公がそれは自分の仕掛けたいたずらだと種明かしする小説だった。ここでも天才泥棒の隠した五万円という夢は破られたのだ。

「君の想像力は実にすばらしい。よくこれ丈けの大仕事をやった。俺はきっと今迄の数倍も君の頭を尊敬する様になるだろう。成程君の云う様に、頭のよさではかなわない。だが、君は、現実というものがそれ程ロマンチックだと信じているのかい」江戸川乱歩『二銭銅貨』

 有名な『人間椅子』もこの手の部類に入る。

 美しい女性作家の元に届けられた手紙。その中には醜い容貌の椅子職人の奇妙な告白が記されていた。自分で作った美しい椅子を手放したくないという考えに取り憑かれたその男は、椅子に人間が入れるスペースを作って入りこみ「人間椅子」となってホテルの一室に入り込む……。

 この手紙の自分が入った椅子の上に人間を座らせた時の描写がすごい。非常に倒錯していて気持ち悪いのに目が離せない魔力があるのだ。夢中になって読んでいくと今度はその人間椅子が手紙を読んでいる女性作家の家にやってきているというのがわかる。ここで読者の緊張と気持ち悪さは最高潮に達する。しかしその手紙が終わると2通目の手紙が運んでこられ、1通目の手紙は全て創作で愛読している作者から作品の批評を頂きたいというのがオチになっている。

 本当に創作なのかは想像の余地があるが、夢オチにも等しいこの結末は、人間椅子の変態的な描写が素晴らしいからこそ驚く。単なる幻想小説だったらこんなオチは付けず、1つ目の手紙だけで終わらせていいはずだ。

 『算盤が恋を語る話』も同じような小説だ。

 内気な男性Tは隣に座る助手のS子に恋心を抱くが、断られるのが怖い。そこでアイウエオを五十音の順番の数字に置き換えた暗号で算盤上に好意を示す一文を表して毎朝彼女の机の上においておくという仕掛けを続けていた。ある日S子が長い間算盤を見つめていたことで計画の成功を悟ったTは、今日帰りに町の小さな遊園地にS子を呼び出す文章を算盤の暗号で送ったところ、S子はいつもどおりに帰ってしまう。

 結局独り相撲だったのかと落胆するTだが、S子が机に残した算盤には暗号で「ゆきます」という言葉が残っていた。喜んだTは広場で待つが何時までたってもS子は来ない。二時間以上待ち帰ろうとした時、ハッとあることが浮かんだTは会社に引き返し帳尻の締高を確認する。そこにあった数字はS子の残していった算盤の数字と一致していた。偶然暗号と一致していただけで、はじめからTの意図は通じていなかったのだ。

 暗号が通じた!という瞬間のTの胸の高鳴りようと、実はまったく通じていなかったのだというオチの落差が印象的だが、これも幻想に浸っていた男が現実に引き戻されるストーリーだ。

 こうした幻影の脆さ、強固な現実に対しての幻想の弱さは先述の『幻影の城主』の中でも語られている。

少年時代の私は、夜暗い町を歩きながら、長いひとり言を喋る癖があった。その頃は小波山人の「世界お伽噺」の国に住んでいた。遠い昔の異国の世界が、昼間のめんこ遊びなどよりは、グッと真に迫った好奇に満ちた私の現実であった。私は現実世界よりももっと現実な幻影の国の出来事について、その国の様々な人物の声色を混ぜて、ひとり事を喋っていたのである。しかしそういう夜の道で、誰かに話しかけられでもすると、にわかに、私にとってはむしろ異国である現実に立ち帰らなければならなかった。そして、私はたちまち精細を失い、オドオドしたお人好しになってしまった。江戸川乱歩『幻影の城主』 29P

 この幻影に浸っていた少年乱歩が声をかけられて現実に引き戻される様子は、『二銭銅貨』の松村そのものだ。

だとしても「夜の夢こそまこと」なのだ

 なぜ乱歩は幻影に惹かれながらも、幻影が現実の前に打ち破れる小説を書くのか。それは乱歩にとって「弱さ」は幻影の切り離せぬ性質の一つだったからではないか。探偵小説処女作『二銭銅貨』は貧乏な古本屋生活のなかで書かれた。生活のために小説家になり、低俗なジャーナリストに成り下がってしまったと自嘲する乱歩は幻想の中に完全に閉じこもることができなかった。常に強固な現実が側にありつつ、それでも幻影を想い続ける作家人生だったわけだ。当然幻影の脆さも常に理解せざるを得なかっただろう。

 「現世は夢。夜の夢こそまこと」という言葉はそれでもなお幻想こそが私にとっての真実なのだという宣言だ。

多くの小説家は人類のために闘う戦士であるかもしれない。また別の多くの小説家は読む人をただ楽しませ面白がらせ、そしてお金儲けをする芸人であるかもしれない。しかし私にはそういう現実に即した功利的な考え方は、つけ焼刃の理屈みたいに思われて仕方がない。あらゆる小説家は、多かれ少なかれ、彼が現実の(地上の)城主に適しないで、幻影の城主に適するからこそ、その道をたどったのではないかしら。そして、そのことがどんな功利よりも重大なのではないかしら。江戸川乱歩『幻影の城主』 31P

 乱歩のこのうそぶきは、完全に幻影の世界に入りきった作家にはできない。幻影の脆さを自覚し、片足を生活に付けながらも幻想を求め続ける。それが江戸川乱歩の作家性の一筋縄ではいかないところで、面白さだと私は思う。

付記:推理小説方向から批評するのも面白いかもしれない

 本文では「江戸川乱歩個人の資質」として考えたが、推理小説とはそういうもの、という方向から考えるのもアリだろう。

 探偵の仕事は謎を解決する、つまり謎めいて見える不思議を現実に引き戻し幻影の熱に浮かれた人間の頭を冷ますことであると考えればこれらの作品はすべて当たり前のミステリだ。

 そして、江戸川乱歩の名前の元ネタはエドガー・アラン・ポー、幻想小説の大家であり推理小説の開祖であることを踏まえて、乱歩の小説には幻想小説のベクトルと推理小説のベクトルが分離されずに同居し、作品を引き裂いているからあの独特のオチが付けられる、などという論を立てていくのも面白そうだ。

 ミステリ・幻想小説論に詳しい人誰かやってくれませんか。それともこうした論はもうあるかな。

脚注   [ + ]

1. 一応ミステリなのでネタバレ回避という意味もあるかも
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