『タクシードライバー』と言ったら孤独で不眠症の男トラヴィスがだんだんおかしくなっていく姿を書いたアメリカン・ニューシネマの名作と言われている。
しかし私がこの映画を観たのは小学生の時だったのでそこら辺のことが全くわからなかった。観終わった感想はトラヴィスかっけーってことだけだった。いや大統領候補を暗殺するのかしないのかって下りは確かに覚えてたんですがモヒカンとジャケットの袖から飛び出る銃が印象的すぎてですね。気になる女性をポルノ映画に連れて行って顰蹙のくだりとか完全に理解できてなかった。改めて思うとかわいいな小学生の時の私。
ちなみにビデオで観たのかテレビでやってて観たのかも全く覚えていない。小学生がわざわざレンタルビデオで『タクシードライバー』なんてタイトルの映画を借りようかとは思わないだろうが、かといってテレビ放送されるようなタイプの映画でも無いと思う。じゃあ親が買ってきたソフトが家にあったかというとそういうわけでもない。どんな出会いをしたのか全く覚えてないが、一部の情景、トラヴィスがモヒカンにしたり、銃をジャケットの袖に仕込んだりするシーンなどはずっと記憶にあった。映画でなにか準備をしたりDIYしたりするシーンが大好きというのは小学生の頃から変わっていない。
そうしたアクション面での記憶しか残っていなかったので、世間での一般的なタクシードライバーの評を後から聞いて「あれってそういう映画だったのか」って思ったのが正直なところだ。なので小学生の時ぶりに『タクシードライバー』を観て色々思い出そうとする。
観てる途中の感想
- タクシードライバーの面接でトラヴィスは元海兵隊だと経歴を説明する。こういう設定は完全に忘れていた。しかし小学生当時の私はベトナム戦争なんて知らなかったし、帰還兵という情報はそもそも頭の中に入っていなかっただろう。
- 荒れたニューヨークの町並みがまるで『ジョーカー』だ、と思うのだがこれは明らかに因果関係が逆なのだな。
- 『タクシードライバー』が1976年の映画で『ジョーカー』の舞台は1981年。
- ドライバー仲間との会話でこの人(トラヴィス)コミュ障だなーって思う。人との受け答えで会話を発展させない。人の話を聞いてる時は黙って聞いてるだけだし、人が話してる途中で意識をすぐ外にやる。
- モノローグは饒舌だったり一旦話し出すと独りでベラベラ喋るのもまたそれっぽいぞ。
- パランタイン大統領候補の選挙事務所で働くベッツィーに「君は独りぼっちだ。君の周りには人は大勢いるけどなんの意味もない」って言ってるけどこれ自分自身の事を言ってるんじゃないかな……。
- こんな見るからにコミュ障の不審者に誘われて一緒にコーヒー飲みに行く約束するベッツィーもベッツィーだな……。
- ポルノ映画館から出ていくベッツィーのシーン。これは確かに覚えてた。なんで怒ってるんだろうと小学生の時の私は覚えてたけど、逆に覚えてたということはなんかしら意味のあるシーンだと思っていたのか。
- 普段行っているであろう映画「館」とも呼べず映画小屋と言った風情のところよりはデートという事でより高級感のあるところに行っている。本人感覚ではハレの日なんだろうけどズレてるよあまりにも。
- 孤独な日々に追い詰められて自分を変えるために銃を買うトラヴィス。このあたりは全然覚えてない。街の人に向けて狙いをつけるシーンはなかなか印象的なんだが。
- 筋トレと銃の訓練をするトラヴィス。このあたりはうっすら覚えているが、カーテンレールを改造して銃を袖の中に隠す機構を作るシーンはかなりよく覚えている。
- 「あらゆる悪徳と不正に立ち向かう男がいる」とどんどんこじらせていくトラヴィスだが、偶然行きつけの食料品店で強盗に居合わせその場で射殺する。これいよいよ一線を越えたシーンで大切だと思うのだが完全に忘れてた。
- 大統領候補が反ベトナム戦争の演説をしている。このあたりも時代性を表す重要なシーンだが背景を知らない小学生の私にはまったくわかってなかったと思われる。
- 演説を聞くトラヴィスはサングラスをかけ無表情。
- 最初にアイリスと出会った時、つまり逃げようとするアイリスを取り戻しに来たポン引きから受け取った札でアイリスとのホテル代を払ったっぽい。汚れた相手には汚れた札でということだろうか。
- モヒカンになってパランタイン大統領候補を殺そうとするシーン。記憶の中ではモヒカンに剃り上げるシーンがあったような気がするけどなかった。記憶の捏造か。
- 懐に手を入れたのが不審でシークレットサービスに追われ失敗したがその気になれば袖から直で銃を取り出せたわけで失敗しようとして失敗してるのではなかろうか。
- そしてその夜、アイリスのもとへ行き、ポン引き達三人をぶっ殺す。能動的に三人殺したのにギャングから少女を救った男として有名になって特に罪になってなさそうのおかしいよアメリカ。
- アイリスの親からお礼の手紙。記憶ではこのシーンで終わってたと思っていたが、実際にはトラヴィスのタクシーがベッツィを乗せ、その後夜の街をさまようシーンで終わっていた。
観終わったけどこれ小学生にわかる映画じゃねえな?
改めて観終わった感想として……明確なオチとかなく、ただただこじらせていった世間からズレた男を観察しているような感じで進んでいく映画なので、小学生の頃の自分がこれをトラヴィスのヒーローモノとして消化したのはやむを得なかった事だとわかった。でも小学生の私でも飽きずに最後まで観ていたのは思い出せたので、やっぱ内容以前にテンポとか緊張感のレベルでいい映画なのではと思う。
モヒカンにして社会から決定的に外れたことをするぞと自分でも決意し、死すら覚悟していたトラヴィスが、銃撃シーン後普通の風体に戻り普通のタクシー運転手として生活しているのが視聴後時間がたてばたつほど気持ち悪くなってくる。その気持ち悪さは外れた人間すら中に取り込んでしまう社会の恐ろしいほどの弾力性に対してなのか、一見普通になったようなトラヴィスが再び事件を起こすであろう予感に対してなのかはわからないが、奇妙な落ち着きの悪さがあるのは確かだ。あるいは彼が行ったのは何から何まで妄想で実際は何も起こってないのかも知れない……というのは個人的には嫌いなタイプの解釈だがそうした解釈も許されるタイプの映画ではあるだろう。
後スコセッシ監督の映画によく出てくる「その場所が演出や撮り方によって抽象的な空間になるシーン」がこの映画でも炸裂していてよかった。特に銃撃を終えた後警官が入ってくるところでキマってたけど、タクシーの中から外のネオンを観た時のハレーションの光がきれいで映画の夜のシーンはだいたい夢のような画面になっていたのが印象的。