せっかくランボー全5作を観終えたので、いきおいで原作小説も読んでみた。もう全作観たので流石にランボー弱者を名乗らなくてもいいだろう。
『ランボー』第一作の原作はデイヴィッド・マレルによる1972年の小説、『一人だけの軍隊』(原題:First Blood)で、これが処女出版小説だったそうだ。
あらすじ
基本的には映画の『ランボー』と同じ、というか映画の『ランボー』が小説のあらすじを概ね踏襲しているというべきか。
全三部に分かれており、第一部は田舎町に来たランボーがパトカーで警邏中のウィルフレッド・ティーズル警察署長に捕まり、警察署から逃げ出すところまで。
第二部は山へ逃げ込んだランボーをティーズル達が追うも、逆にティーズル以外の警官は殺され、ティーズルが命からがら街へ逃げ帰るところまで。
第三部は州兵によって山狩りされたランボーが追い込まれ、ついにかつての教官のトラウトマンに処刑されるラストまでが書かれている。
原作と映画の違う点
ランボーとティーズル警察署長のダブル主人公
『一人だけの軍隊』ではランボーとティーズル警察署長の視点が交互に描かれ、壮絶な二人の間の”戦争”が中心になっている。一人が追われる側に回っていると思えば、視点が変わると今度は相手が追われる側になる。この視点変更のギミックが全体を通して強いサスペンスを持続させていて、非常に読み応えのあるものにしている。
映画でも追う側だった警官隊が、山中で逆に追われる側になる逆転現象は大きな見せ場だが、小説ではそれがさらに際立っている。追う側だったティーズル達が逆に殺されていき、ティーズルが部下に声をかけようとすると、喉をかき斬られた部下を発見するところなどスラッシャームービーのようだ。
『一人だけの軍隊』のティーズル警察署長(警察署長がパトカーで街を巡回してるっていうのがまずカルチャーギャップなのだが)は、朝鮮戦争で英雄的に戦った人物で、今は妻と別居中。その私生活の埋め合わせをするように仕事に向かっている人物、とくっきり人物が書き込まれている。書いてみて改めてわかるが、この人はこの人で映画の主人公にありがちな典型的経歴をしてるな。
映画ではティーズルはそれほど書き込まれたキャラクターではないので、まずここに驚いた。
ランボーをティーズルが職務質問したことから始まる因縁は、泥の中を這いずって殺し合いをするうちに、次第にお互いを憎み合い、相手を強く意識し、逆に強く求め合う恋愛感情のような様相を呈するようになる。
ランボーの内面描写があるので映画の寡黙な感じはない
小説ではランボーの内面描写があるので、スタローン演じるランボーのような寡黙でじっと物事に耐える人物のイメージではない。
もちろん原作のランボーも警察の仕打ちに耐えるのだが、これまで通ってきた街で暴力事件を起こしていることを描写されているので、耐えて耐えて耐えて……大爆発という感じはない。
警察署内でいきなりカミソリで警官を殺しちゃうし、追ってきた警察を積極的に射殺していくので、映画版より暴力的に見える。戦争によって殺人の技術を教え込まれ人格を変えられてしまった描写と思えばそれらしいが。暴力を振るうことの思い切りが大きく違うといえばいいのかな。
映画のラストの「何も終わっちゃいねえ!」は映画オリジナルであり、小説とは結末が全く違う
前の項で書いたように、『一人だけの軍隊』のメインにあるのはランボーとティーズルの戦いで、バイオレンス小説である。逆に言えばベトナム帰還兵の悲哀といった社会的テーマは映画に比べてあまり感じない。
もちろんティーズルは朝鮮戦争の英雄、ランボーはベトナム戦争の英雄と対比されているし、トラウトマンがベトナム帰還兵の悲哀に対して同情的なことは言うが、それよりも二人のドロドロの殺し合いの方に意識がいく。
象徴的なのは映画のラストの「何も終わっちゃいねえ!」の慟哭が原作にはないということだろう。あれは映画オリジナルの終わり方だ。
元になっているのはトラウトマンがランボーに同情的なことをいうこのあたりのセリフを膨らませたのだろうか。
「戦争なんかに行かなくてもよかったし、自動車修理工場へ戻ればよかったんですよ」
「(中略)自動車修理工場に戻ればいいとおっしゃいましたね。あまりにも冷たい現実とは思いませんか? 三年間、国のために闘い、名誉勲章までもらったものの、神経障害を起こしたあげく、自動車にグリスを差す仕事しかあたえられないんですよ。
デイヴィッド・マレル『一人だけの軍隊』P234
原作だとランボーは追跡の果てにティーズルを撃ち殺し、ダイナマイトで自殺しようとするランボーの頭をショットガンで撃ち抜いてとどめを刺すのがトラウトマン、というのが結末だ。ガソリンスタンドを放火するところまでは同じなのだが、そこから分岐するという感じ。逆にガソリンスタンドを放火は原作にもあったことに驚いた。映画的な見せ場のシーンかと思っていたので。
このラストのランボーとティーズルの攻防が短く視点を交代しつつ書かれていて非常に惹き込まれる。このクライマックスに至る、互いが互いを狙って”追い詰まっていく”感じは、なんとなく夢枕獏のような、いやあそこまで観念的じゃないな、筒井康隆のようで非常に好み。映画は誰もが知る名作だけど、原作も読む価値あります。
ちなみに映画でも最初はトラウトマンがランボーを撃ち殺すという結末だったらしいが、試写会の意見で「ランボーがかわいそうすぎる」ということで現在の映画のようになったらしい。
トラウトマンが大佐ではなく大尉
原作ではトラウトマン大佐が大佐ではなく大尉になっている。また、直接の生徒ではなく、トラウトマンが訓練した部下が訓練したのがランボーとなっている。ランボーの父親的存在なのはあまり変わらない。
また、映画ではトラウトマンは「ランボーを助けに来たのではない、皆さんを守りに来た」などといちいちドヤ顔を効かせているが、原作ではそんな感じはしない。映画では階級が上がったせいだろうか。