【感想】ランボー弱者が『ランボー3 怒りのアフガン』を観てみた記事―悪い意味で普通の映画になってしまった感じ

また前回に引き続き『ランボー3』を観ていくわけだがまたしてもあらすじに引っかかるところを発見する。

仏教寺院で暮らすランボーはトラウトマン大佐が拉致されたこと、しかし政府の介入は国際法に違反することを知らされる。そのためランボーは自分の手で救出することを決意する。
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仏教寺院……?

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観ながらの感想

  • なんか棒術の賭け試合に出場しているランボーからスタート。仏教寺院に暮らすとか書かれてたから出家でもしてたのかと思ってたので安心。
  • アフガニスタンでの対ソ連軍作戦にランボーを利用しにきたトラウトマン大佐。
    • しかしまぁこのオッサンも結局はランボーを良いように利用してロクな人間じゃねーなぁ。
    • 彫刻家の例えを出してるけどそれってつまるところ殺人マシーンであることを受け入れろってことでランボーが人間であることを完全に否定している。
  • トラウトマン大佐が捕らえられたことを教えられてランボーは内密の作戦に。アフガンへ。
  • 現地情報屋のモーサに「銃を撃ったことなさそうだw」と煽られるランボー。この舐められ感がタメになるわけですね。
  • ソ連軍人に俺たちはベトナムで(現地民との戦争を)経験済み、今度はお前らの番だとタンカを切るトラウトマン大佐。このアフガンゲリラがソ連撤退後色々あってタリバンを生みアメリカにテロを起こすのを知っている今からみると実に味わい深いセリフ。
  • こまっしゃくれたガキが出てきて嫌な予感がしたがこのガキがランボーについてくるという最悪な展開。足手まといになることがわかりきってる女子供をアクション映画に出すな。
    • 案の定撃たれて抱えられるハメになるし。
    • 潜入した先に子供がいて助けなければいけないというのなら全然いいんですよ。しなくていい苦労を最初から強いられるのが嫌なだけで。

    悪い意味で普通の映画になってしまった感じ

    前半ゲリラが自分たちの窮状を語るシーンとか退屈な会話シーンが多くて飽きる。ソ連のネガティブキャンペーンがやりたいのかもしれないけど、紛争地帯を舞台にアクション娯楽映画を撮ってる自分たちのことを棚上げして道徳を説かれても鼻白むんだコッチは。それに現地を戦場にされてる住民が真の被害者という話はベトナム舞台の前作にやっとくべきではないか。勇敢なるアフガン民族へ捧ぐとクレジットの最初に出てるのもなんかあざといというかね。

    このあたりは時代性の問題であり、30年遅れで観たせいかもしれないが、でも『1』は時代を超えて面白かったのでそこらへんハードルが上がったのかも知れない。

    『2』は開始20分でヘリから投下されて状況開始だったのに対して今作は40分すぎるまでただ現地を観光してるだけ。アフガニスタンの騎馬戦とかどうでもいいんだよね。後ガキもいらん。ランボーに残る人間らしさを出すシーンとしても正直いいとは思えない。

    前作はアクションのテンポが異常なほど早かったが、今作はなんか普通の映画になっちゃった感じがある。馬に乗ったゲリラ達とソ連軍と戦うシーンは戦争映画っぽくなってスケールは大幅に上がっていて迫力もあるのは確かだが。

    たった一人でも恐ろしいほど強い男ランボーの活躍が面白かったわけで、ある意味水で薄まったと言えなくもない。正直今までの中では一番イマイチだったかな。

    続き

    【感想】ランボー弱者が『ランボー 最後の戦場』を観てみた記事―このシリーズは本来このくらいの情景(グロさ)のはず

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