ファンタジーのその後―『不思議の国の少女たち』

「われわれにとって、自分の行った場所が故郷だ。善であろうが悪であろうが中立であろうが気にしない。生まれてはじめて、自分ではないもののふりをする必要がなくなるという事実だけが問題なんだ。そのままでいられる。それが雲泥の差を生む」ショーニン・マグワイア『不思議の国の少女たち』P70

「異世界から戻ってきた子供たちが通う寄宿舎」「異世界こそが故郷」「人はみな別々の物語を生きている」これらのキーワードに刺さるものがあったら、大丈夫、今すぐ本をカートに突っ込んでいい。これは現実以外の世界にのめり込んだことのある人、幻影の城主となることを望んだことのある人のための本だ。

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あらすじ

 舞台となる全寮制の学校は異世界に行ったことのある子どもたちのために作られた学校。異世界への旅を経験した子どもたちは、異世界こそが自分の故郷でありもう一度そこへ帰りたいと思う子どもと、そこに二度と帰りたくないと願う子どもの2つに分けられる。自身もまた異世界からの帰還者であるエリノア・ウェストが経営する本作の学校は前者の子どもたちのための施設だ。子どもたちはここで同じ苦しみを味わう仲間と共に暮らし、現実世界で生きていくすべを学ぶ。

 主人公のナンシーは死者の殿堂へ行ってきた少女だ。親から頭がおかしくなったと思われ、”治療”のために施設に送られてきた。もちろん治療というのはエリノアの巧みな嘘であり、エリノアの本心は自分と同じような境遇の子どもたちを助けることにある。

 ナンシーは施設で様々な異世界からの帰還者に出会う。同室のスミは”高ナンセンス”なお菓子の国で10年ほどくらしていたという少女で独特の喋り方をする。施設には数少ない少年のケイドはアリスの鏡の国のような”高ロジック”の妖精界に転がり込んだ。双子の少女のジャックとジルはヴァンパイアの支配する”荒野”で暮らしていたし、ロリエルは目に見えないほど小さい蜘蛛の巣国の王女になるはずだった少女だ。

 そしてナンシーが施設に到着してから数日後、施設で謎の殺人事件が起こる。死者の殿堂から帰ってきたという出自、到着したタイミングなどからナンシーは殺人者の疑惑を受けるのだが――。

異世界の設定のセンスがいい

 ファンタジー作品を巡る設定が良い。この作品世界では異世界をナンセンス―ロジックの軸と邪悪さウィキッドネス高潔さヴァーチューの軸で大きく分類する。まずナンセンスかロジックかで分けられ、土台にあるのはウィキッドネスかヴァーチューか判別されるのだ。

 例えば鏡の国のアリスのような世界は、高ナンセンスのふりをした高ロジックと判定される。『不思議の国のアリス』は即興で作った物語が元になっているのに対して『鏡の国のアリス』はチェスのルールに沿った物語進行になっているので、ここで私のようなオタクは「この作者分かってるな」となるわけです。この4つの属性以外にも詩韻ライム直線性リニアリティ舞踏ウィトスモルティスなど下位の属性もあるようだ。

 行ってきた世界に応じて身についた価値観や能力が異なっており、自分の行ってきた世界について語るシーンはそれぞれ一つ一つの文量は少ないものの世界観のツボを抑えていて、「こういうファンタジーあるある」「なにそれその話読みたい」となるのは作者のセンスが良いからだと思う。

不可逆に人を変える「物語」

 作品全体のダークな雰囲気がいいが、子どもたちの行ってきた異世界とは我々が読んできたファンタジー小説、物語のことだろう。物語の世界から現実に帰還するが、もう一度そこへ帰りたいと願う気持ちは多くの読者が共感するところだ。少なくとも私は共感する。

 異世界に行った後では異世界こそが故郷になる、というのも単純な現実逃避だけではなく、本を読む上で稀にある決定的な瞬間のことを描いているのではないか。それまで生きていた世界の見方が変わるような不可逆の体験、それを求めて私は本を読んでいる。

子どもたちの抱える問題

 また、子どもたちの抱える諦めと渇望は普遍的な問題でもあるだろう。周囲との疎外感や孤独を抱えて生きる人は大勢いるし、熱烈に憧れながらも手が届かない世界を内心に持っていない人はむしろ寂しい人間なのではないか? 悩みをかかえた子どもたちをすべて肯定しつつそれぞれの世界を尊重させるエリノア先生の言葉は色々なマイノリティへの言葉に置き換えても通用するのではないだろうか。

ここは収容所ではありませんし、あなたがたは頭がおかしいわけではありません――たとえおかしいとしてもそれがなんです? ほんのわずかでも正常から外れたと判断した相手に対して、この世界は情け容赦なく残酷です。同じのけ者によりそい、理解と愛情を持って受け入れるべき人がいるとすれば、あなたです、あなたがた全員ですよ。あなたがたは宇宙の秘密の守り人であり、おおかたの人間が目にするどころか思いもつかないような世界に愛された人々なのです……ショーニン・マグワイア『不思議の国の少女たち』P128

 刺さる人には刺さる小説であり、刺さらない人にはまったく刺さらない小説だろう。私は刺さった。ここまで読んでいただいたら自分がどちらかはわかると思う。ファンタジー好きにはお薦めです。

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