【読書】高野秀行『アヘン王国潜入記』ミャンマーはワ州、世界最大の麻薬製造地帯へと

アヘン・ヘロインを知らない人はいないだろう。大体の人は学校でアヘン戦争について勉強するし、『シャーロック・ホームズ』とか『タンタンの冒険』には阿片窟が出てくる。「ダメ。ゼッタイ」なんて標語が書かれたポスターは日常の風景に溶け込んでいるし、薬物の害を説く啓蒙番組は定期的に放送されるし、逆に薬物によって悟りが開けるとか世界が平和になるとか主張するアブナイ人々も意外とたくさんいる。

でも、アヘンの原料となるケシを栽培し産業にしている国はどんなところなのかということを我々はまったく知らない。高野秀行『アヘン王国潜入記』は、かつてゴールデン・トライアングルと言われていたケシの名産地帯にあるミャンマーのワ州に著者が身一つで渡り、現地のムイレ村というところに7ヶ月も住み込んで、ケシの種まきからアヘンを作るまでを実際に体験してみたというルポルタージュである。これがとても勉強になり、面白い。

ちなみに本書では、ミャンマーのことを「ビルマ」と書いているが、あとがきで「最近ではミャンマーと表記することに慣れてそう呼ぶようになった。ビルマとミャンマーは同じ言葉の文語と口語という違いしかない」と書いてあるので、この記事では自分自身に馴染み深い「ミャンマー」の表記で通すことにする。

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ワ州とはどこにあるどんなところなのか

ミャンマーの地図

高野秀行『アヘン王国潜入記』より
ミャンマーの地図

ワ州は中国雲南省と接し、タイ、ラオス、ミャンマーの国境が接する山岳地域、「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれる世界最大の麻薬製造地帯にある。もっとも「ゴールデン・トライアングル」というが、タイとラオスは1980年代からアヘン生産量が激変しているので、著者がワ州に訪れた時点では実質ミャンマーだけがアヘン生産「ゴールデンランド」といえる状態だったようだ。この地域に暮らしていたワ人は19世紀からケシを栽培しアヘンを作り始めた。

何故アヘンを作り始めたかというときっかけはアヘン戦争である。イギリスによって貿易制限を取り払われた中国だが、アヘンの輸入高を定められたわけではない。高額な輸入アヘンに対抗するために中国は国内でアヘンを作り始めたのである。ケシの栽培に適しているのは山岳地帯であり、山岳地帯に住む少数民族がアヘンを作るようになった。まだこの頃中国とビルマ王国(ミャンマー)との国境は明確に定まっておらず、多種多様な民族がいる地域だった。ワ州はまさに中国とミャンマーの曖昧な国境にある地域にある。

ワ人は中国とビルマ王朝という2つの大国の間で実質的な自治を守ってきた民族だ。イギリス植民地政府の統治も及んでおらず、「有史以来、いかなる国家の管轄下にもあったことがない」ところらしい。古くは近隣の村や多民族の土地を襲って首を狩っていくという習慣があり現地では蛮勇で有名だという。1968年から1989年まで中国が全面的にバックアップするビルマ共産党の支配下にあったので、今でも行政や官僚組織の面で中国の統治方式を受け継いでいる。89年の軍事クーデターによってビルマ共産党が倒された後、ビルマ共産党の支配区はコーカン州、ワ州、ムンヤン地区の3つに分かれ、独自の軍隊を旗揚げし現在もミャンマー内で実質的な独立を保っている。その中でもワ州はもっとも強大な軍を持っているそうだ。

ケシ栽培取材ルポ

 多くのジャーナリズムというのは上空から見下ろした俯瞰図ふかんずだということだ。べつな言葉に置き換えると、客観的な「情報」である。「木を見て森を見ず」といういましめに忠実に従っているのだろうが、悪くすれば「森を見て木を見ず」の姿勢ともなる。それは不特定多数の人に伝わりやすいが、手で触ることができない。
 おそらく、私と彼らとの方法論のちがい、もしくは性分のちがいなのだろう。あるいは単に私がジャーナリストの能力に欠けているだけかもしれない。が、とにかく私としては、一本一本の木を障って樹皮の手ざわりを感じ、花の匂いや枝葉がつくる日陰の心地よさを知りたかった。それから森全体を眺めてもいいのではないかと思った。高野秀行『アヘン王国潜入記』

著者の高野秀行は「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」をモットーにしているノンフィクション作家で、海賊や武装勢力が跋扈する崩壊国家ソマリアの中で治安がよく何十年も平和を保っている独立国ソマリランドへ行ったり、イェティがいると聞いてブータンに行ったり、勢いでサハラ砂漠のマラソン大会に参加したりと、世界の色んな所にいって面白いルポルタージュを書いている。中でもこの『アヘン王国潜入記』は本人が「背骨」と呼ぶ代表作だ。出版後日本では反響がなかったが、翻訳して英語版を出した所、海外の書評では高い評価を受けたらしい。

外から見れば世界最大の麻薬製造地帯でも、村の人にとっては普通の農業をしているにすぎない。潜入した著者も一時マラリアで死にかけたが、毎日畑の草取りに励み、モイックという雑炊を食べる普通の毎日を過ごす。アヘンを製造しているからといって現地の人がアヘン中毒になりまくっているということはない。彼らにとってアヘンは商品だから当たり前といえば当たり前だが。

住民も著者いわくインド人やアフリカ人、さらに欧米人と比べても身近に感じられるような人たちで、文明度は低くても文化度は決して低くない普通の倫理観と行動規範を持った人たちだ。彼らは「宵越しの喧嘩はしない」という習慣を持っているらしく、一度派手な喧嘩をしても、翌日になると競うようにまた友好関係を回復するという。閉ざされた村の中でうまく人間関係をやっていく工夫なのかもしれないが、このあたり見習いたいところである。

現地ではアヘンを吸うことは禁止されているが、あまり強く守られているというわけではない。長年働いてきた年長者が嗜んだり、古代ギリシャ・ローマ時代のように万能の医薬品として使われることもある。そしてサラッと書かれるから驚くのだが著者は酷い病気のせいでアヘンを吸い、中毒になってしまう。どうやって治ったかは書いていないのだが、ワ州を出国してアヘンが手に入らなくなったため強制的にやめられたのだろうか。

アヘンの心地よさは「欲望の器が小さくなる」と表現されている。人間はアレがしたいとかコレがいやだとか日々欲望に動かされて生きている。それがアヘンを吸うと日頃切望している欲求がまったくどうでもよくなるというのだ。積極的な喜びや快感はまったくないが、ただ現状が満ちたりるらしい。煩悩から解放されたその精神状態はある種悟りの境地ともいえる。もっともアヘンが切れた著者は体調不良が治ってからもアヘンを吸いたがるようになるのだが。アヘンに含まれるモルヒネを痛み止めとして投与されると、痛いがそれを許せるくらいの愛が脳から溢れてくるという。それは痛みから逃れたいという欲望の器が小さくなるからなのかもしれない。

多くのジャーナリズムとは違った方法論1)ジャーナリストでアヘンを栽培している村に半年以上住み込んで生活を体験するという人はまぁそういないだろう。で書かれた本だが読むことで、ケシを栽培している村人の生活から、ミャンマーの抱える複雑な民族問題、反体制ゲリラの国家観など、ニュースで見てもわからない空気感がちょっとはつかめるような気がする。木を見て森を見ずというが、木の一本一本から森は成り立っているということを想像するのにとてもいい本だ。本の重要な役割として「読者の住む世界とはまったく違う世界を見せる」というのがあるが、『アヘン王国潜入記』はその役目を見事に果たしていて非常に面白い。Kindleではカラー写真の入った文庫版が実本の半額近くの値段で買えるので是非読んでみて欲しい。

現在ワ州は

著者がアヘン王国に潜入した1995年から25年経った現在のワ州の状況もちょっと調べてみたが、事実上の独立国であること、ミャンマー最大の反政府武装組織であることは変わってないようだ。東京新聞の記事の写真には中心都市パンサンの様子が載っているがだいぶ発展しているようで、本書にあるような中国の田舎町には見えない。中国の経済発展に伴って投資されて開発が進んでいったのだろうか。

アウン・サン・スー・チー国家顧問はワ州も含めたミャンマー内の少数民族武装勢力と和平を進めようとしているが、なかなか上手くいっていないようだ。ワ州は中国からの投資や軍事援助を受けて何十年も独立を保っていたわけでミャンマーに帰属するのを嫌がってもまぁ仕方ないと思う。多民族国家をまとめることは難しい。

彼女は今ロヒンギャ問題で非難され色んな賞を取り消されているが、弁護するわけではないが、批判者は彼女というか民主化を過大評価していたのではないだろうか。アメリカのように全く新しい国を作るわけではないのだから色々な歴史やしがらみを引き継いでやるしかないし、民主化したら多数民族も少数民族も同じように扱われるようになるなんてことは希望的観測すぎる。本書でも

ビルマの少数民族は多かれ少なかれビルマ人が好きではない。(中略)外国のビルマ・ウォッチャーはジャーナリストにしても、アムネスティーインターナショナルのようなNGO団体にしても、大半がラングーン中心主義2)「ラングーン中心主義」はビルマの実情や歴史をよく知らず、知っていても民主化問題で留まっている世界の大半の人たちの事を指して著者が言っている言葉。である。民主化の問題さえ論じれば事足りると信じている人びとも多く、少数民族の独立や自治については、アウン・サン・スー・チーらビルマ民主化勢力も、軍事政権と同じくらい否定的であるという事実を無視しており、少数民族側からビルマを見ている私はしばしば反発を覚える。高野秀行『アヘン王国潜入記』

と、この時点で民主化勢力と少数民族の問題について書いている。

アヘンビジネスに関してはちょっとよくわからない。2002年にケシ栽培禁止令が出て作物の転換が進んだが、2007年ごろから麻薬製造が再び活発化しているという話もあれば、2005年にケシ栽培が全面禁止されて代替作物としてゴムと茶を促進しているという話もあるし、ワ州の司令官が麻薬所持の罪でタイで捕まったというニュースもある。本書の文庫版あとがき(2007年)では日本の援助関係者の話では「ワ州にはもうケシ畑はない」とか「外国人には見えないところでやっている」という矛盾した説が紹介されている。実際に全面的に禁止されたかはさておき、転換は進んでいると考えていいのだろうか。

脚注   [ + ]

1.ジャーナリストでアヘンを栽培している村に半年以上住み込んで生活を体験するという人はまぁそういないだろう。
2.「ラングーン中心主義」はビルマの実情や歴史をよく知らず、知っていても民主化問題で留まっている世界の大半の人たちの事を指して著者が言っている言葉。
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