母のあの秘密文書によれば、宇宙に生命は少なくない。それどころか、宇宙は生命であふれている。
では、宇宙は、生命によってすでにどれだけ変わってしまっているのだろう? どれほどのレベル、どれほどの深度で改変がなされているのだろう?
劉慈欣『三体Ⅲ:死神永生 上』訳:大森望,ワンチャイ,光吉さくら, 泊功
三体シリーズ最終巻、『三体Ⅲ:死神永生』を読み終わった。『三体』と『三体Ⅱ』はSFエンタメだったが今作は純粋SFの域に差し掛かってて、非常に濃厚な読書体験だった。例えるならカツカレーピラフ天ぷらうどん定食半チャーハン付きを食べたような満腹感というか……いやこれは感想の表現が形而下すぎるが。
2巻の訳者あとがきで3巻は「二一世紀最高のワイドスクリーン・バロック(波瀾万丈の壮大な本格SFを指す)」と言っていたが確かに時間軸は冷凍睡眠でバンバン移動するし、空間軸も宇宙船でビュンビュン移動していろんな時代といろんな「人の住む世界」を見せてくれた。
それだけでも面白いのだが、前作で出てきたこの小説世界を貫く「暗黒森林理論」の帰結、「猜疑連鎖」と「技術爆発」の果てにあるゾッとするような黙示録的宇宙観を見せられた読者としては、もう広げた風呂敷の広さに、吹かれた大法螺の大きさにただただ圧倒させられるしかない。「あぁ俺今SFを読んでるぅぅ~~」と身悶えしたくなるほど興奮させられてしまいましたよ。
実際作者の劉慈欣も最初の2巻はSFファン以外の一般読者の方を向いて書いていたが、遥か未来を描く第3巻は一般向けには書けず、SFファンの方だけを向いて執筆したという。ところが驚くべきことにシリーズ全体の人気につながったのはSFファン向けに書いた第3巻『死神永生』だったという。何かわからないけどとにかく凄い! というものはジャンルを超えて広がるものなのだろうか? 私は確かにそれもあるが、『三体』シリーズどの巻も人間のドラマが描かれているのが一因だと思うがそれは後述したい。
ちなみに、前作『三体Ⅱ:黒暗森林』を読んだときの感想記事はこちら。
危機紀元208年、面壁者の一人である羅輯はその計略によって三体星人の地球侵略を食い止めた。だが、三体星人の存在とその侵略行動が明らかになった危機紀元の始まりにおいて、面壁計画の影で「階梯計画」が極秘に発動されていた。その目的は三体星人の地球侵略艦隊にスパイとして人間を送り込むこと。
階梯計画を主導する若き女性エンジニア程心は、彼女に密かに想いを寄せ、名前を隠して恒星系の権利をプレゼントしていた男、雲天明を太陽系外に送り出し、送り出したスパイを知る計画責任者として冷凍睡眠して未来に送られることになる。そして彼女の決断は人類の行方を大きく左右することに……。
フェルミのパラドックス──宇宙の広さを考えれば地球外文明は多数存在していてもいいはずなのに何故地球文明との接触がないのだろう?──への回答として出されたのが『三体Ⅱ 黒暗森林』にて提唱された「暗黒森林理論」だ。
宇宙文明間において相互に信頼を結ぶことは難しく、相手は善い文明なのか相手はこちらの文明を善い文明と判断するだろうかと延々と「猜疑連鎖」が続く。そして、人類の科学技術の発展は宇宙のスケールから言えば一瞬のことにすぎない。この「技術爆発」はいつ文明に起こるかわからず、敵対的な可能性のある文明が自分たちの文明より一瞬で強大になってしまうかもしれない。
以上の2つの観点を合わせると、宇宙文明は、他の文明を発見したら即その文明を攻撃し破滅させるのが最適解になる。放っておいたら自分たちがその文明に滅ぼされてしまうかもしれないから「殺らなければ殺られる」のだ。となると宇宙文明はひたすら自分の存在を他の文明に知らせないように努めるだろう。
これがフェルミのパラドックスの答えになる、「本当は宇宙文明は数限りなく存在するが、他文明を恐れて隠れているのだ。それは暗黒の森の中で狩人が息を潜めて猟銃を構え、他の狩人を探している状態に例えられる」という暗黒森林理論である。
暗黒森林理論は人類文明に深刻な影響を与えた。消えたかがり火のそばに座っている子どもは、もともと外向的で楽観的な性格だったのに、孤独で内向的になってしまったのである。
劉慈欣『三体Ⅲ:死神永生 上』訳:大森望,ワンチャイ,光吉さくら, 泊功
この暗黒森林理論は非常にロジカルで説得力があるすごく面白いSF的アイディアだが、それはひたすら暗く、人類不信を超えた絶望的なまでの知性体への不信の上に成り立っている。『三体Ⅲ』はこの暗黒森林理論の帰結と残酷な知性と計算の上に成り立つ宇宙文明の論理が愛と人間性で成り立つ地球文明に打ち勝つところが繰り返し繰り返し繰り返し描かれることになる。
羅輯は三体世界の座標を全宇宙に放送するぞという脅しによって暗黒森林抑止を成立させ、三体世界の座標発信ボタンをその手に任せられた人間、執剣者となった。
羅輯が執剣者となり抑止のもとの平和を保っている間、地球文明はすっかり危機感を失い、羅輯に感謝するどころか、「呪文」で一恒星系を滅ぼしたことを世界絶滅罪の容疑をかける。他にも宇宙空間のなかで暗黒森林理論を実践した宇宙船<青銅時代>のクルーを反人類罪で起訴したりと、とにかく人類世界の倫理観と宇宙文明間の倫理観は全く一致しないよということをしつこく書いているのである。この感覚の絶対的な違いというのは何度も描かれ、それによって太陽系人類は最終的に滅亡することになる。
主人公程心は人類世界の愛と倫理観を体現する存在として書かれ、常にその倫理観ゆえに選択肢を間違い続ける女性として書かれる。このあたりはそれだけ暗黒森林のシビアさ、無情さを書くためにそうなっているのだろうが、主人公がとにかく失敗を続けるので気に入らない読者もいるだろう。個人的にはドナルド・モフィット『星々の教主』の主人公のように主体性のなさ、無能さゆえではなく、人類世界の倫理観と思考のスケールが地球文明と宇宙文明では違いすぎるがゆえの失敗なのであまり程心を嫌いになる気持ちにはならなかったが。
人類世界にも暗黒森林の論理をその身に体現するキャラクターもいる。葉文潔から宇宙社会学の公理を託されて暗黒森林理論に気付いた羅輯と、PIA(惑星防衛理事会戦略情報局)長官のトマス・ウェイドである。彼らは暗黒森林理論に適合した動きをするゆえに人類社会から危険視されるのだが、いかんせん読者にとってこっちのキャラクターの方が格好良く見えてしまうのはいたしかたないところだ。
劉慈欣はこういう知性と野生の勘を持った男性キャラクターを表現するのが非常にうまくて、史強も章北海も羅輯も雲天明もトマス・ウェイドもそれぞれ違った魅力があってどれもいいキャラクターになっている。特に今回出てきたトマス・ウェイドは、基本人類を虫けらとしか思ってない三体文明から特に脅威視されている人物で、人類でありながら暗黒森林理論に適合する素質を持ったキャラクターだ。
「われわれは止まらない」ウェイドは立ち上がると、会議テーブルにそって歩き出した。「これから先、階梯計画だろうと、なにかべつの計画だろうと、おれが止まれというまで止まるな。わかったか?」ウェイドはいつもの落ち着いた口調をかなぐり捨て、怒り狂った野獣のような声で吠えた。「われわれは前進する! 前へ! 前へ! なにがあろうと前へ!」
劉慈欣『三体Ⅲ:死神永生 上』訳:大森望,ワンチャイ,光吉さくら, 泊功
程心もテーマ的に重要なキャラなのだが、羅輯のお嫁さん探しも含めると、作者は男性キャラに比べて女性キャラを書くのが下手なのではという批判が出てくるのはやむなしかもしれない。葉文潔の絶望はよく書けていたと思うのだが。このあたり前に自分が書いたハインラインの作風に通じるものがあるようなないような。
『三体』と『三体Ⅱ』を読み終わった人はだれもが「これってもうこの巻できれいに完結してない?」と思うだろう。風呂敷がきれいにたたまれたのにまた広げてたたむのかと考えていたが、『三体Ⅲ:死神永生』は風呂敷を時空のはてまで広げていく。『三体』では地球のあらゆる活動を筒抜けにする超陽子コンピューター智子、『三体Ⅱ:黒暗森林』では地球人の艦隊を圧倒する三体星人の水滴など超技術が登場したが、『三体Ⅲ:死神永生』はそれらのテクノロジーが足元に及ばない文明の力と想像を絶する宇宙の真実が明かされる。
ついに宇宙文明による地球への暗黒森林攻撃がなされるのだが、それは単純な恒星の破壊ではなく、宇宙の「二次元化」。太陽系が二次元世界に「落ちていく」カタストロフィ描写は地球艦隊を蹂躙した水滴の攻撃を遥かに超えるものだ。『三体Ⅲ』には四次元から三次元を見た時の感覚とか三次元が二次元世界に落ちていく描写などこれ映像化できるのか? ってシーンが多いが、ゴッホの『星月夜』を引用してきたりして読者のイメージ喚起を助ける書き方は流石である。
そして現在ある三次元宇宙は本来もっと高次元なものだったのが、文明の低次元化戦争により三次元に堕ちてしまったのではないかという話は、下巻の75%が終わった段階でここまで風呂敷を広げるのか~! と瞠目させられた。そして実際下巻の残りの25%でさらにスケールは広がっていくのだ。
その壮大なストーリーと知性が宇宙法則を書き換えるという点で部分的に小松左京の『果しなき流れの果に』と『神への長い道』を想起させたが、三体の宇宙観は冷たくシビアすぎる。程心の最後の決断も彼女が今までずっと間違い続けてたことを考えると先行きが暗いものにしか考えられないのだよなぁ。
このシビアさは中国SF特有のものなのか、それとも『三体』特有のものなのかはわからない。中国SFをもっと読みたいなあと思わせてもくれる。
で、スケールが壮大で凄いとか大風呂敷が広がって宇宙にとか散々煽ってきたけど、三体の面白さや凄さには壮大な叙事詩と個人の人間ドラマを乖離させず、同時に進行させてくところにもあると思うのだ。
文革で父を喪い人類に絶望した葉文潔、面壁者として三体世界と対峙する任を任せられた羅輯、己の思考と信念に従い人類生存のために誰にも内面を明かさず行動した章北海、人類の持つ愛情を捨てられなかった程心、どのキャラクターも壮大なストーリーの柱となりテーマとなる暗黒森林とどう向き合ったかが書かれている。
史強やウェイドなんか絶対に人気が出るキャラクターだし作者はキャラメイクの才能もすごくある人だと思う。和服を着て日本刀を振るう智子の美少女型インターフェース、智子はウケたが。日本刀信仰的なものは中国でも通じるのだな。
また、三体3巻にはそれぞれ作品の基本にはミステリー要素があり、これってどういうことなんだろうと読者の興味を引っ張る仕組みになっているのもエンタメ性が強く、ベストセラーになった理由ではないか。
1巻なら何故優秀な学者が自殺していくのか、主人公の目の前に浮かぶカウントダウンは一体何なのかといったもの。2巻なら真意を明かさない面壁者の行動にはどんな計画があるのかを破壁者が見破っていくというミステリーの犯人と探偵の対決のような展開が続き、羅輯の呪文から暗黒森林理論を暴き出していくところも推理小説的な謎解きの快感がある。3巻は雲天明が程心に地球が暗黒森林攻撃を逃れるヒントとして送った「おとぎ話」の謎解きが下巻の中心の一つだ。「地球から全宇宙に向けて『この星は安全ですよ』とすべての文明が悟ってくれるようなメッセージを送るにはどうすればいいか?」という無理難題としか思えない問題が「おとぎ話」から導き出されていく過程は非常にスリリングで「その手があったか!」と思わせてくれる。
ところで三体Ⅱを読んでる途中、三体Ⅱを読んでる旨のツイートをしたら中国人の人に「羅輯はやり遂げますぜ」みたいなリプライをされたのだが、あれはつまり居場所を知られたことで受けたネタバレという暗黒森林攻撃だったわけだ。羅輯がなんとかしてくれるのは話の流れとして当たり前だったのと私はネタバレ耐性ある方なので無事だったが、もっとクリティカルなネタバレをされる可能性もあったわけでこれは私が地球文明的な弱さを示していたとしか言いようがない。これからツイッターでなんかの作品を読んでると言ったらネタバレされることを暗黒森林攻撃と呼ぶのはどうか。
後、読んでいて気になったところとして、三体Ⅱでは黒暗森林理論と書かれていたのが三体Ⅲから暗黒森林理論になっているということがあったが、これは単なるミスとのことだ。タイトルでは「黒暗森林」だが、本文では「暗黒森林」にするつもりが、修正されてしまったらしい。重版では修正されるかもしれない(電子書籍で持ってるんだけどこれはどうなるんだろう?)。
日本語として自然なのは暗黒森林理論だけど黒暗森林理論の方が厨二病っぽくてカッコいいなーという気もする。ジャンプのバトル漫画で出す技名として考えると黒暗森林の方が良くない? さらに暗の字を変えて黒闇森林にしたらさらに厨二度があがる! かなりどうでもいい観点だけれど。
とにかく大傑作ということは間違いないのでこのブームに乗ってしまうのが超オススメですよ。買って損なし。翻訳も読みやすく、熱中して読めます。べつに複雑な数式が出てくるわけでもないので文系でも問題ないです。