「メクラでも目あきでも、どんな人間でも、ほんとうの幸福をえるには、自分の心から我をとり去って、他を愛する精神をもたなければなりません。」
ワシリー・エロシェンコ「松の子」『ワシリイ・エロシェンコ作品集①桃色の雲』P104
ワシリー・エロシェンコは盲目のロシア人でありながら、日本では盲人が按摩などをして自活していると聞いて来日し、日本語で童話、演劇などの作品を発表した文学者だ。
エロシェンコが1890年、日本では教育勅語が発布され第一回帝国議会が開かれた年に生まれた。4歳の時麻疹で失明、9歳の時モスクワの盲人学校に入る。15歳頃からエスペラント語を学んでエスペランティスト、世界共通語によって理想社会を実現しようとする主義者になっていく。
日本では盲人が按摩など手に職を付けて自活していると聞いて来日したのが1914年のことである。1916年に口述筆記による処女作『提灯の話』を発表した。1年半で作品を発表できるほどにまで日本語を習得したあたり、エロシェンコには語学のセンスがあったらしい。それはこの後にシャムやミャンマーに盲学校の教師をしに行ったことからも感じられる。またこの時ビルマやインドで蒐集した民話を日本で発表している。
更に今度はインドに渡ったがロシアのボリシェビキと見られて国外追放され、1919年に再来日。『一本の梨の木』などいくつもの作品を発表する。ちなみに新宿中村屋のカレーはインド独立運動家のラス・ビバリ・ホースからレシピを伝授されたことは有名だが、創業者の相馬愛蔵氏は芸術文化面で顔の広い人物だったらしく、エロシェンコの面倒も見ており、中村屋のボルシチはエロシェンコがレシピを伝えたものだそうな。
1921年に日本の社会主義者の会合に参加したことを理由に国外追放されてしまいロシアに送られる。この時日本を追放されなくても日本は第二次世界大戦への道を歩むし、ソ連は仮想敵国だったから良い目にはあわなかっただろうが……。
追放されてウラジオストックに到着したが入国を断られてしまう。これが何故かは正確にはわからないが、ロシアに戻ったものの1921年といったらまだロシア内戦の最中である。赤軍は日本が支援していた白系ロシアと戦っていたため日本からの帰国者を拒んだのだろうか。
そこから中国へと渡り魯迅などと知り合い、北京大学でエスペラント語を教えていたが、1923年に中国から祖国へ帰国。『挽歌』『盲目のチュクチ人』などの作品を発表する。モスクワでは盲人教育関係の仕事をし、1949年に故郷へ帰り1952年に62歳で亡くなった。
*
ちなみにエロシェンコと同じように日本では盲人がマッサージなどで自活できると聞いたのがきっかけで海外から来日したというモハメド・オマル アブディンという人がいて、音声読み上げソフトで日本に来てからの生活を書いた本に『わが盲想』というのがある(その本について書いた記事)。この本によれば同じような盲人の留学生は日本の盲学校にいるらしく、意外と日本の障害者教育はしっかりしているのかもしれない。
エロシェンコの書いた童話は全体的に物悲しく、ファンタジックだがどことなく風刺性を感じられる。似た作風を挙げるなら宮沢賢治だろう。冒頭の引用は恣意的に引っ張ってきたものだが、エロシェンコの作品を読むと宮沢賢治の作品を思い出してしまう。
エロシェンコと宮沢賢治の共通点は他にもあって、法華経に傾倒していた宮沢賢治に対して、エロシェンコもバハイ教(バハイ教については自分の書いたこの記事を読んでほしい)の創始者バハ・ウラーの聖典から言葉を引用したりと両者には共通したある種のユートピア思想を感じられる。二人は生きた時代がほぼ重なっているので(エロシェンコが6歳年上)時代精神なのかもしれないが。エスペランティストなのも一緒。ただ賢治の方はちょっと学び、作品の用語にエスペラントを取り入れたレベルだが。
じゃあエロシェンコも宮沢賢治ほどの作家かといわれると、そこまでとは言えない。今まで共通点を語ってきたことをひっくり返すようで悪いのだが。それはエロシェンコが悪いのではなく宮沢賢治が天才すぎるからである。独特のオノマトペ感覚や鉱物などの専門用語が醸し出す詩情など宮沢賢治はオンリーワンの存在なのだ。
だがロシアから日本に渡ってきて作家活動を行い、日本を追い出されてからも中国で、ロシアで作家活動を続けたエロシェンコもまたオンリーワン性をもった作家であることは間違いない。少なくとも今読む価値も覚えておく価値もある作家であると私は思う。
社会主義者の会合に出たことが理由でボリシェヴィキの嫌疑をかけられたが、作品を読むとたしかに反資本・ユートピア思想を感じられる。といってもプロレタリア文学ではまったくないし、当時社会主義は先進思想だと思われていたため作風にそういった思想を取り入れていても不思議ではないのだが。
エロシェンコの作品が収録されている手に入りやすい本は『百年文庫62 嘘』だろう。百年文庫は、一巻につき漢字一文字のテーマを元に三人の作者を選んで編まれた短編集のシリーズ本なのだが、この巻にエロシェンコの『ある孤独な魂』『せまい檻』などが収録されている。私がエロシェンコの事を知ったのもこの本だ。
『ある孤独な魂』はエロシェンコがモスクワの盲学校時代の思い出を書いた随筆で、高圧的な教師の言うことに子供らしい疑問や異論をぶつけるのだが、その度に酷い躾を受けていたエロシェンコの子供時代を知ることができる。
『せまい檻』は読んで私がエロシェンコのことをもっと知りたいと思ったきっかけの短編である。動物園の檻の中に閉じ込められ、神に自由を祈る虎、自由への憧憬と己を縛る”檻”への憎しみ、読者に鮮烈な印象と何か考えされる材料を残す優れたおとぎ話だった。
またフィクションではないが『日本追放記』は中々貴重な資料であり面白い。ロシアに向かう船の中でアメリカからロシアに帰るロシア人労働者などの様子を書いたものだが、ロシア内戦中の状況を一般労働者はどう見ていたのかなどの様子を、文学者の目から見た雰囲気を知ることができる。このあたりの革命時代に興味がある人は目を通してみて損はないのではないか。短くてすぐ読めるし。
『小学館世界J文学館 エロシェンコ作品集』が電子書籍化されたそうです。興味ある方は是非この一冊を。