山本義隆『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻』を読んだ。
この本は日本が開国してから現代に至るまで、科学技術による国家総力戦体制は戦前戦後変わらず維持されており、それが破綻したのが福島の原発事故である、という史観について書かれたものだ。著者の山本義隆氏は元・東大闘争全学共闘会議代表、駿台予備学校物理科講師、そして科学史家として有名な人である。
文明開化はエネルギー革命であり、科学技術革命であった。その革命を科学史の観点から説明しているのだが、これがめっぽう面白い。
なぜ日本が急速な近代化に成功したのか。それは西欧の科学史の進み方と関係している。
そもそも科学技術という言葉があるが、科学と技術が結びつき科学技術が形成されたのは18世紀末以降のことでそれまでは科学と技術というのは別々に発展してきた営みなのだそうだ。技術が科学的裏付けをともなっていたわけでもなく、科学も医学を除いて実践的応用を意図していたわけではない。
日本が西洋の文明に触れたのは19世紀後半、科学技術がすでに制度化した時代だった。なので科学を社会的に制度化された機能として受け入れることができた。
またその時代になって物理学から神学的な夾雑物が取り除かれ、数学もかなり整理整頓されてきて、教科書的な書物が誕生し、西洋の神学思想などの素養がなくとも努力次第で習得できるようになっていた。
そしてこれは読んでいてなるほどとなったのだが、その時代は古典力学、電磁気学、熱力学の原理がほぼ出揃い、古典物理学がだいたい完成されていたということ。ミクロの世界では古典物理学が適用できないというのがわかるのは20世紀になってから。これ以上の原理的に新しい発見はないだろうと見なされていたということで、最先端の科学に追いつくまで日本には猶予があったのである。
開国が五〇年早くとも、五〇年遅くとも、日本が欧米の物理学に追いつくのは大変に難しかったと思われる。
と著者は書いている。開国が早ければ科学は制度化されておらず教科書もなく、開国が遅ければ学ばなければならない科学の原理が大幅に増える、と日本の開国は実にタイミングが良かったというわけだ。
また産業革命が遅れた分、ガス灯などを経ることなく電灯や最新式の蒸気機関がすぐに導入され、エネルギー革命としてはそれほど遅れず達成できたという話には、日本には青銅器と鉄器が同時に伝来したため青銅器時代がなかったという話を思い出した。後発者の有利というかそういうことは結構いろんなところである気もする。
日本の近代化の成功を科学史の視点から見た話は新鮮で、これだけでも本書を読んだ価値があった。
日本の近代化は帝国主義と切り離せず、多くの産業革命、科学技術の発展、社会体制の変化は軍事的理由を伴って進んできた。
例えば兵員・物資を戦場へ輸送する鉄道、そもそも仏艦が荒天のために沈没したのが学問の始まりと発端から軍事と関わっていた気象学、造船など軍需産業のために必要な鉄鋼業、ハーバーボッシュ法など資源問題を打開できると考えられていた化学技術、軍の機械化に重要な自動車製造、健康保険制度の改革など様々である。
そして第一次世界大戦以後、総力戦に向けての体制づくりが全国をあげて進められていったのだが、それは科学の面でも同じだった。1941年5月に閣議決定された「科学技術新体制確立要綱」は、研究の合理化・能率化を目指したもので、大目標としては資源小国の日本が大東亜共栄圏の建設によって収奪した資源を有効活用できる自前技術の開発を目的としていた。
科学統制と科学動員を目的としたこの体制だったが、実際に働く研究者や技術者はそれに乗っかった。科学者にとって戦中の総力戦体制は実に都合がいい体制だったのである。
ここまで露骨に軍や権力にすり寄り、率先して科学動員の旗をふることはなかったにしても、合理主義的思考の持ち主や近代主義者で実力も研究意欲もある若手や中堅の研究者の多くは、自分たちに実力を発揮する機会と研究資金を与えてくれた戦時下の科学動員を受け入れていた。研究者の最大の関心事は業績を挙げることであり、そのための研究費が保証されているかぎりで、大多数の研究者は、世の中のことに無関心であった。そしてこの過程で、実力のある若手や中堅の台頭を見ることになる。
戦後、一九五一(S26)年に日本学術会議の学問・思想の自由保障委員会が全国の研究者にアンケートを出し、過去数十年間で学問の自由がもっとも実現していたのはいつかと問うたのにたいして、戦争中という回答がもっとも多かったのである。大部分の理工系の学者は、研究費が潤沢であるかぎりで、科学動員による戦時下の科学技術ブームに満足していたのであった。
山本義隆『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻』P188
敗戦直後、敗北の原因として原子爆弾に象徴されるように科学戦の敗北、科学の立ち遅れがさかんに語られた。
しかし、そもそも資源の絶対的な不足をなんとかできるほど科学は万能ではない。総力戦はお互いの資源をもってぶつかり合う長期戦になると第一次世界大戦で理解していながら、米国との戦争は短期決戦で事が運ぶだろうという軍部の楽観的な主観主義に敗因がある。
さらに科学戦における敗北というのは米国との戦争しか見ていない。中国大陸では技術的にも経済的にも劣る国民党軍や共産党軍を相手にしていながら、泥沼のような戦争のなかで身動きが取れなくなり勝利を掴むことができなかった。
そして、科学技術の立ち遅れが敗戦の原因なら科学者や技術者はその責任を負わなければならないはずだが、当の科学者はその自覚が見られない。むしろ科学技術の振興が日本の再建に必要なのだと、「科学振興による高度国防国家の建設」を「科学振興による平和国家の建設」に看板を差し替えただけで科学者は今までどおり研究に勤しむことができた。
確かに大和魂とか神州不滅とか国粋主義に惑わされていた一般国民レベルにとっては真に民主的な科学振興が日本再生への道だと考えてもおかしくない。しかし戦時下で戦争遂行の鍵は科学技術にあるとして戦争に全面的に協力していた科学者・技術者が同じレベルで語るのはおかしいと著者は述べる。
こうして総力戦の過程でもたらされた日本社会の構造的変化はそのまま受け継がれ、戦後の復興も高度成長もその土台の上になりたっている。その中心になったのは内務省を除きほぼ無傷で残された官僚機構だ。産と学に対する官の優越性、官の指導性という思想も受け継がれていった。
日本の戦後の経済成長を「敗戦によってリセットがかかったから」とする派と「いやいや敗戦でリセットなんてされてないよ」派はずっと両立していて、自分もどちらの本を読んでもそれぞれ納得してしまうのだが、「なんで産業革命はイギリスで起こったか?」という議論と同じように結論が出ない話なのかもしれない。というよりある部分はリセットされある部分は継承されたという話か。
そして戦後社会が書かれるのだが、著者が書き出す戦後の歴史、いや近代日本と科学技術の歴史は常に弱者からの搾取と戦争協力の歴史だ。
戦後の復興・経済成長は朝鮮戦争、ベトナム戦争の軍需品特需を踏み台にしたものに過ぎず、自動車産業の発展のため多くの交通事故の死傷者をうみ、高度成長は水俣病やイタイイタイ病など数々の公害を出した。
ここで特に書かれるのはその公害訴訟の際、公害を出した企業の側に政府が立って支援をし、大学研究者も企業にとって都合のいいデータを出すことで加担をしてきたということだ。これは軍が表に出てこなくなっただけで官・産・学による戦後版総力戦体制は戦前戦後で変わっていないことを現す。
そしてエネルギー革命に始まる日本の近代化の物語は、エネルギー革命のオーバーランとしての福島の原発事故でもって、そのひとつの結末を迎えた
と、著者は一章を割いて日本の原子力政策についてその歪みと失敗を書いている。
産業利用のため、潜在的軍事力のため原子炉の研究はスタートされたが、著者はそもそもが原子力の技術は民生用技術としてはきわめて未熟で不完全
と述べている。原子力工学ではきわめて危険で化学処理しえない放射性物質を生みだし、燃料の採掘から定期点検にいたるまで労働者の被爆が避けられないという問題や使用後には人の立ち入りも拒む巨大な廃炉が残され、使用済み核燃料の処分方法が未解決など通常の商品では市場に出し得ない致命的な欠陥が原発にはある。
そして2011年の福島の原発事故や増殖炉の失敗、原発事業の失敗による東芝の半導体部門の売却をもって経済成長の強迫観念にとらわれた戦後の総力戦の破綻である
と総括している。
というのが本書の大体の内容であり、生産力の増強と経済成長の追求から決別すべきである、成長の経済から再分配の経済へ向かうべきというのが本書の結論なのだが……。
コロナで経済成長は阻害され、人びとの消費活動が制限された今から読むと、経済成長も消費も世の中に必要だと思う人がほとんどなのでは、と思う。
で、最後に引用されるのが全学連委員長塩川喜信による1996年の書物だ。
市民社会が発達し、国家・市場経済に対する統制力を増し、国家の枠組みの相対的低下が、国境を越えた市民社会、民衆の国際的交流・連帯が、国家権力の発動のもっとも暴力的形態である戦争の防止、多国籍資本の監視、国境を越えた環境保全等を可能とするシステムを遠望している。先進諸国の「失業なきゼロ成長」社会へのソフトランディング、グローバル化する資本と国家の対抗軸はこうした構造のなかで育まれるのではないかという期待を込めている。
山本義隆『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻』P291
これって要するに共産主義ですよね?著者は元・東大全共闘議長で学生運動をやっていて警察に指名手配を受けたという経歴があるからブレていないといえばブレていないのだろうけど。
この塩川喜信という人は日本のトロツキストであり、国家の枠組みの低下、国境を越えたシステムというのはトロツキーの主張していた世界革命のことだろう。というか共産主義が達成された結果国家の枠組みも軍隊も消滅するというのは共産主義のイデオロギーだ。
そもそも本書の日本の経済成長・近代化が進んでそれが福島で破綻したからこれからは脱成長・再分配の経済だという史観は、資本主義が行き詰まった時共産主義革命が起こり新しい共産主義社会が起こるという共産主義の教義をなぞるものになっている。
ソ連崩壊後にもなって1990年代に書かれた共産主義が広がったらいいなぁという淡い期待の書を2018年(本書が発売された年)にもなってこれからの社会のビジョンとして持ち出してくるのはちょっと理解できないです……。
また本書では科学技術が相当ネガティブに書かれそんなものが無かったほうが人類は幸福だったぐらいにも取れるほどだが、科学技術はそれほど悪いものだろうか。公害問題にしろ、高度成長期に比べれば今の日本はだいぶ改善されてきているがそれもまた科学技術の進歩によるものなのではないだろうか。
科学技術や科学研究は人間の社会的営みであり、国家・社会・政治の影響を受けるのは当然のことでこれまで科学による失敗や経済成長による歪みというのが出てきたからと言ってこれからの科学や社会について絶望する必要はないのではと思う。そして科学に対して絶望はするのに共産主義に対して絶望はしないのはなぜだろうとも思う。
学生運動をやっていたということは日本のアカデミズムに対して問題意識をもっていたのだろうし、駿台で東大など最上位学校受験生向けの物理学講座を長年やっていたということは理系エリートを育てるということで日本のアカデミズムに関わっていたということもできる。問題意識を常に抱えながらアカデミズムに関わり続けていたことで絶望に至ったのかもしれない。これは何の根拠もない勘ぐりだが。
しかしこれからのビジョンは置いておいて、明治以来の日本の科学技術体制についてまとまって読めたのは面白かった。大変な労作であることは間違いないし、これだけの内容を読みやすい新書の形で読めたのは良かったなと思う。日本の近代化について興味がある人などは一読の価値ある一冊だった。