『ド嬢』に出てきてまだ読んでない本を読んでいこうシリーズ、『死に山』の次は悪名高いミステリ小説、清涼院流水の『コズミック』に手を付けてみた。
「壁本」という言葉をご存知だろうか。「読んだ後壁に叩きつけたくなるほど酷い本」という意味で、主にミステリ界隈で使われる用語なのだが、本書『コズミック』は壁本の代表的な例と言われている。
その悪評は読んでいない自分も知っていていつか読まなきゃなぁくらいの気持ちでいたのだが『ド嬢』をきっかけに読んでみることにした。
しかし、考えてみれば「壁本」というのも難しいジャンルである。いや壁本の作者は壁本にしようとして書いたわけではないだろうからジャンルというのは間違いかも知れないが。いやもしかしたら壁本狙いで書いてる人もいるかも……。
「読み終わった後」叩きつけたくなるということは、最初から終わりまで読者を引き付けなければいけない。読んでる途中でつまんねえと思ってしまったら壁に叩きつけたくなるほどの感情は生まれまい。読書中は読者の期待値を一定以上にずっと保ちつつ、読み手の感情を逆立てするようなオチをトドメとばかりに叩きこまねばいけないのだ。
だから「壁本」というのは読み勧めている時の面白さと驚天動地のオチを同時に保証する言葉であり、「この本叙述トリックだよ」と言って人に紹介するのがネタバレなように、「この本壁本だよ」と言って人に紹介するのもある程度のネタバレになってしまうのかもしれない。
退屈な日常生活に嫌けがさして、生涯で未体験の刺激をお求めなら、大アタリか大ハズレか気にせず、迷わず第三の読み方を選択されますようオススメします。
清涼院流水『コズミック』 P4
はじめに『コズミック』を手にとってまえがきを読んでみると本書の特殊な読み方が推奨されている。
なんでも、『コズミック』上巻→『ジョーカー』上下巻→『コズミック』下巻の順に読んでくれということなのだ。
『コズミック』と『ジョーカー』は同時発売され、『コズミック』→『ジョーカー』の順でも、『ジョーカー』→『コズミック』の順でもいいが、一番推奨されるのは上記の読み方なんだそうだ。
そして自分はわかりやすさを重視して上巻・下巻と表記していたが、それは正確な表記ではない。正しくは『コズミック「流」』『コズミック「水」』、『ジョーカー「清」』『ジョーカー「涼」』である。『コズミック流』が上巻、『コズミック水』が下巻、『ジョーカー清』が上巻、『ジョーカー涼』が下巻というようになっている。読んでない人ついてきてくれてますかね。
そして『コズミック流』の後に『ジョーカー清・涼』を挟んで最後に『コズミック水』を読むことで流水の中の清涼、すなわち「清涼IN流水」が完成するという仕掛けになっているのだ!
「だから何だ」と思ったでしょう私も思いました。しかしこの言葉遊びに関する異常な執着はタイトルだけでなく本文、そして物語の真相にも大きく関わっている、というか言葉遊びのために小説が存在していると言えるくらいである。
すべて読み終わった今の感想としては……。時系列的は『ジョーカー』→『コズミック』だから逆の読み方をしてはいけないというのはわかる。じゃあ『コズミック流』と『コズミック水』で『ジョーカー』を挟まなければいけない理由は正直わからなかった。いや清涼IN流水がやりたかったというのはわかるけど。でも生涯で未体験の体験は大言壮語もいいとこだぞ。『悪童日記』シリーズや『はてしない物語』レベルのものを期待していたこっちが悪いのか?
1984年1月1日マスコミ各社や警察に「密室卿」と名乗るものから「今年1200個の密室で1200人が殺される。誰にも止めることはできない」とのFAXが送られてきた。
一人目の被害者は平安神宮の初詣にあふれる人の中、誰にも見られずに首を斬られて殺された。被害者の背中には本人の血で「密室壹」と記されていた。タクシーで、マンションで、エレベーターで、空中で、次々と全国で密室殺人事件が行われていく。
江戸川乱歩と同じ本名を持つ富豪によって建てられた大旅館、幻影城で合宿を行っていた推理作家たちの団体「関西推理の会」。その中の一人、濁暑院溜水は、推理小説の構成要素三十項全てを網羅する大ミステリ小説を書くと宣言し、この幻影城合宿を舞台に、推理作家たちで登場する実名小説にするという構想を発表した。
その翌日、まるでその構想が現実になったように推理作家の一人が殺されているのが発見され、『芸術家』と名乗る人物による連続殺人事件が勃発する。
『コズミック流』から『コズミック水』まで一通り読み終わった感想としては……「なるほど」で終わっちゃったかな。確かに劇中にはっきり書かれてる通りであれば、前半の次から次へと密室で人が殺されていく描写もおかしくはない。個人的には『コズミック』より『ジョーカー』の方にそれはアリなのかとなったネタがあった。
正直もっとアンフェアな全部フィクション世界オチとかを考えていたのでハードルが下がっていたということもあるが、トリックとしては確かにそれ以外じゃなきゃゲーム世界でしたオチぐらいしか考えられないものだったし、とんでもないぶっ飛んだ驚天動地の犯人には素直に驚かされたっていうか驚かない人いる?!
壁に叩きつけたくなるという人の気持も非常によく分かる。真面目な人間だったらそりゃあ怒るだろう。
ただ……時代は前に進んでいるというか清涼院流水作品の影響を受けたり、さらに突き進んだような作品が現代の世の中には出てきていて、それらを既に摂取していると、ああこれが元ネタかという気持ちが前に出てそこまで驚けないというか。
例えばADVゲーム『ダンガンロンパ』シリーズなんかそうだ。シナリオライターの小高氏は清涼院流水作品が好きと言っていて、たしかに『コズミック』を読んでいるとああ影響を受けているんだなぁと感覚でわかってくる。
小高氏:
僕は,“物議を醸す”作品――例えば,竜騎士07さんや清涼院流水さんの作品のようなもの――が好きなんですが,ただ物議を醸すだけじゃなくて「それらをポップに楽しませたい」という意識はありました。
ダンガンロンパは「ピンと来る」を集めて作った作品――「スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園」ロングインタビューを掲載
他にもとんでもないミステリと言えば殊能将之『黒い仏』ね。個人的には驚きの面でも面白さの面でも『コズミック・ジョーカー』よりコッチのほうが勝っていると感じた。真面目なミステリファンがブチギレするだろう作品なのはどちらも同じだが。
で、この作品を他のものを今現在でも隔絶したものにしているのは偏執狂的な言葉遊びとアナグラムへのこだわりだろう。登場人物の名前が同じ数だけ出てくることがギミックになっている小説とか初めて読みました。そうしたこだわりに共鳴できる人間にとっては時代を超えて影響力を持つ魔書になりえるだろう。驚愕するも激怒するも爆笑するも読者の自由だが、少なくとも話の種には確実になるんじゃないかなぁ。
私は……とりあえず他の作品『カーニバル』と『彩紋家事件』など他作も読んでみようかなあとなるほどには気に入りました。
以下『コズミック』と『ジョーカー』を読んだことを前提に文章を書きます。つまりネタバレがあります。
毀誉褒貶激しい作品ですが、個人的にはネタバレ抜きで読んでみるのをオススメします。
旅館の主、平井太郎以外のすべてが密室教徒だったってネタバレした上で『ジョーカー』を真面目なミステリ小説として読むって不可能じゃないか? 劇中でも幻影城事件の見直しを図られたと書いてあるが……。
『ジョーカー』の犯人が「誰でもいい」っていうのは驚いたが『コズミック』を読んだ後では、推理作家全員密室教徒で平井太郎氏とJDCメンバーを除いたすべての人間がグルだったのではと思う。
それにしても自分でも意外なのは『ジョーカー』を読み終わった時、「誰でもいい」というオチにそれほど怒りを覚えなかったことだ。
分析すると「九十九十九が次から次へと繰り出す言葉遊び推理、源氏物語の符号に頭をやられていて正常な判断能力を失っていた」「まだ『コズミック水』があったのでそちらで何らかの解決がなされるという希望があった」「虹川の推理→竜宮の推理→九十九の推理→刃杣人の明かす真相と二転三転してもうどうでもいいよと諦観の境地に達していた」あたりの要因から怒りが沸かなかったのだと思う。
「個人的には『コズミック』より『ジョーカー』の方にそれはアリなのかとなったネタがあった」と書いたが、ネタバレすると「鎧の密室」のことである。これは解く必要のない密室ですなんて説明はメタ探偵のお前しか納得しねーんだよ!!
『コズミック』の密室連続殺人事件のように書かれている描写そのものがフィクションという線だが、JDCメンバーがこの密室に関わってきている以上それも難しいだろう。九十九十九の謎解きパートすら作中作でフィクションですということになるとそれはもう『ジョーカー』すべて嘘になってしまい、あまりにも救いがない。流石にそれは勘弁してほしい。
後、ワッセルマンって画家実在するんですか? 「Schattenburg Wassermann」で検索してもそれらしい絵が出てこないんですけど……。