『ド嬢』に出てきてまだ読んでない本を読んでいこうと思う。最初は『死に山』から
1959年の冬、ウラル工科大学の学生たちがウラル山脈北部のオトルデン山に登るために出発した。彼らは全員トレッキング資格2級を持っていて、今度の旅行が上手く行けば当時ソ連でトレッカーとしての最高資格である第3級を獲得できるはずだった。出発して10日後の2月1日、一行はホラチャフリ山の東斜面にキャンプを設営して夜を過ごそうとした。しかしその夜なにかが起こってメンバーは全員テントを飛び出し厳寒の暗闇に逃げていった。
三週間近くたってから捜索隊が送り込まれたが、彼らが見つけたのは無人のテントと、1キロ半ほど離れたべつべつの場所にある遺体だった。遺体はろくに服も着ておらず、ほぼ全員が靴を履いていなかった。しかも9人のうち3人は凍死ではなく頭蓋骨折などの重い外傷で死亡しており、女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。さらに遺体の着衣について調べてみると一部から異常な濃度の放射能が検出された。
捜査終了後、当局はホラチャコフ山と周辺を三年間立入禁止とし、トレッカーは「未知の不可抗力」によって死亡したと報告書に記入した。この「世界一不気味な遭難事件」が起こった一帯はトラッキング隊のリーダーの名をつけてこう呼ばれている。「ディアトロフ峠」と。
『死に山』はアメリカ人ドキュメンタリー映画監督がこのディアトロフ峠事件について追跡調査した一冊である。
『死に山』によるとディアトロフ峠事件の原因として挙げられる説は主に6つある……が著者はいずれの理由も否定するだけの材料を挙げている。
シベリアに住む先住民族マンシ族の襲撃を受けたというもの。捜査当初有力な説とされていたが、マンシ族はその周辺には住んでおらず、そもそもホラチャフリ山にはあまり近づかなかった。また現地人の攻撃を示す証拠が皆無であり、マンシ族は歴史的にみても平和な人々であり捜査活動にも進んで手を貸していた。
現地は雪崩が起きるような斜面ではなく、ホラチャフリ山には雪崩の記録が事件以前の54年間に一度もない。テントも無事に残っている。
トレッカー達が吹き飛ばされたならなぜテントはそのまま残っていたのか? またルスティクは毛糸の帽子をちゃんと被っていたのもおかしい。気象分析によれば確かに当時の夜は風が強かったが、物理的被害を出すほどのレベルではなかった。
ソ連軍または脱獄囚によってトレッカーが殺害されたという説は根強い。テントの奥の壁がナイフで切り裂かれているのがその証拠だとされているが、テントの穴が切り裂かれたのは内側だとわかっている。また現場には9人分の足跡しか見つかっておらず他の来訪者の形跡はない。遺体の損傷は渓谷に落ちたことで説明がつく。
唯一の生き残りユーリ・ユーディンもこうしたソ連当局による陰謀論を主張しているが、彼は同時にスターリンや共産党支配全体へ対しての忠誠心を表明している。ソビエト時代への深い愛情とその政府に対しての強烈な猜疑心。この二面性はユーディンだけでなくロシア人の特性らしい。
事件が起こった同月に周辺で夜「光球」が目撃されたという証言があり、これがソ連のなんらかの兵器によるものだという説が出た。しかし、光球が目撃された日付は事件の日とずれており辻褄が合わない。このころソ連ではロケットの発射実験がおこなわれていたが、それはキャンプした場所から2000キロ近くも離れているので無関係と思われる。
トレッカーの衣服から通常の2,3倍の放射能が検出されたことから、核兵器がキャンプ地の上空で爆発し、トレッカーが負傷してテントから脱出せざるを得なかったという説が生まれた。
しかし著者が専門家に取材したところでは、現在の科学的知見では通常の50倍から100倍の放射線が検出されなければ異常とは言えないと証言している。
トラッカーの外傷は渓谷に落下した時の打撲、舌がなくなっていたのは腐敗のせい。この事件の謎はなぜ九人は安全なテントを棄てる気になったのかだ、と著者は結論づけて陰謀論を退ける。雪崩ではないにしろなんらかの自然現象ではないかと考えた著者は気象現象についての資料を探し回り、超低周波音にあたりをつけた。
超低周波音は人間の可聴域の下限より周波数の小さい音波のことで、超低周波音が鼓膜を圧迫することで内耳の有毛細胞が信号を脳に贈り続けることで、なにも聴こえていないのに脳はそれとは異なる信号を受け取っているという乖離状態を起こし、身体にきわめて有害な影響を及ぼす。吐き気、重度の体調不良、精神的な不調から自殺の原因などその症状は様々だ。
冷却・換気装置が発生させることが多いが、超低周波音は自然に発生することもある。著者がアメリカ海洋大気庁の超低周波音の専門家に事件現場の詳細な地形や写真を送って調べてもらうと、超低周波音を生み出すのに理想的な気象と地形の組み合わせをしていると太鼓判を押される。『死に山』とは超低周波音を生み出すウラル山脈北部の地形だったのだ、というのが本書での結論である。
本書では資料をもとにしたトレッカーたちの旅・事件後の調査の様子の再現と著者のロシアに赴いての現地調査が交互に書かれていて、ついに最終章で超低周波音説に基づいた恐怖の一夜が描写される。その描写は非常にそれらしいのだが、まぁ……「それらしい」の範疇は出ない。この結論なら現地に行って超低周波音が発生しているか確認するのが重要だと思うのだが、そうした検証は無い。
とはいえ調査しなければいけないディアトロフ峠は極寒地域だし、調査するには当時と同じような気象を待たなければならないしそれは個人では現実的ではないだろう。2019年、ロシア検察が事件を再調査しているらしいのでこれからなんかわかったらいいですね。というような希望的観測で終わっちゃう話なのでなかなかもどかしい。難破船を引き上げるような現物が出てくる調査ではないので仕方ないのだが。
でもまぁディアトロフ峠事件について実によくまとまった一冊なのは間違いない。スターリンが死んでちょっと明るい雰囲気になってきたソ連の大学生の雰囲気とかもわかるし、変なネット記事を読むんだったら本書を読んだほうが全然いいです。