前回はスタンド・バイ・ミーについて比較したが、今回は『ゴールデンボーイ』(原題:APT PUPIL。出来の良い生徒、というような意味)を取り上げる。原作はかなり面白いホラー小説だが、映画の知名度は同じ作品集『恐怖の四季』に収録されている『ショーシャンクの空に』『スタンド・バイ・ミー』よりかなり低め。
原作
明るい性格で勉強も優秀、スポーツもできる非の打ち所がない少年トッド。彼は戦争雑誌を読みふけりナチの戦争犯罪について興味をもつようになった。
ある日、近所に住む老人アーサー・デンカーが元ナチスの将校クルト・ドゥサンダーであるという確信を掴んだトッドは、ドゥサンダーを執拗に問い詰め彼を脅迫し、ナチの戦犯であるという事実を公表しないかわりに収容所時代の昔話を聞かせるという取引をする。
トッドはドゥサンダーの過去の話に夢中になるが、勉強が疎かになり急激に成績が低下していく。スクールカウンセラーによってトッドの両親が呼び出される事態になったが、トッドはドゥサンダーに自分の祖父を演じさせその場を取り繕う。
スクールカウンセラーとの約束で、5月に一つでも落第点を取ったら今度こそ両親を呼び出しての面談と夏期講習に出席させられることになったトッド。ドゥサンダーに借りを作ったことと、必死に成績を上げるためにドゥサンダーの前で勉強するようになったことで、二人の力関係は徐々に逆転し始める……。
まず導入の仕方が違う。
小説だといきなりドゥサンダー老人の元に押しかけたトッド少年があなた実はナチスでしょと脅迫する場面から始まり、何故わかったのかと聞かれて戦争について書かれた雑誌にとりつかれたこと、授業でナチスを取り上げたことを説明する。
映画だと、トッド少年がナチスについて授業を受け、戦争について書かれた雑誌を読んでいるところがオープニングシーン、そしてドゥサンダーの家へ行くという風に時系列通りのストーリーになっている。
全般的に描写がソフトになっているきらいがある。
小説でデュサンダーが猫をオーブンで焼き殺すシーンがあるが、映画では失敗する。ギャグ映画かよ! 最初に小動物を殺しエスカレートして人間を殺すようになるっていうのがサスペンス映画の定番だろ! レーティングでできないっていうなら別のエピソードに変えろ!
映画でトッドがガールフレンドに誘われてセックスしなかったせいで笑われるシーンがある。これは小説でトッドがはじめて夢精を体験するシーンの置き換えだと思われる。小説では夢の中でトッドは縛り付けられた女性を犯すのだ。ドゥサンダーの指揮によって。
小説ではドゥサンダーは浮浪者を自分の意志で誘い込んで殺したが、映画では家の中でSS姿をしていたのを目撃したゲイの浮浪者を始末する。
映画ではドゥサンダーが初めて浮浪者を殺した時に心臓発作を起こすが、小説ではドゥサンダーもトッドもそれまでに何人も浮浪者を殺している。
映画ではドゥサンダーが殺しそこねた浮浪者にトドメを刺すのがトッドだったが、原作では地下室に穴を掘って埋めただけ。映画的に動きのあるシーンを入れたかったからこうした変更をしたと思われる。
映画では真相を知ってやってきたスクールカウンセラーをトッドは逆にゲイだろうと脅迫するのだが、小説ではトッドはカウンセラーを撃ち殺す。これは監督が小説を読んだ時、このキャラクター実はゲイなんじゃないかと思ったからこういう展開にしたのではと思ってしまう。ゲイよりのバイのブライアン・シンガーの事だし……。そう思って観るとガス室の幻覚を見るとかいう名目で男子のシャワーシーンを撮ったり、浮浪者が売りをやってるゲイだったりそれっぽいムードが漂っているんだよなぁ。
今まで取り上げた『ショーシャンクの空に』『スタンド・バイ・ミー』はどちらも優れた映画だったので、原作とどちらが優れているか決めるのが難しかった。今回は自信を持って小説のほうが優れていると言える。
小説の外面は完璧なアメリカの少年がナチの残虐行為に惹かれて地獄に堕ちていくっていうのが表裏の対照になっていて面白いところだが監督はそこのところを全く理解してない。最初のワンカット目からこいつヤバい奴だなって撮り方してて人間描写が平板という他ない。どこから見てもこれこそ全米代表といった感じの少年
がナチに異常な興味を持ち堕ちていく様、ナチのことはとうに忘れて平穏な暮らしをしていた老人が狂気を取り戻していく様がスリリングで惹き込まれるわけで最初っから影のある少年だったら落差がないでしょ!と怒鳴りたくなる。
優等生がナチ時代の虐殺話にのめり込んで成績落としてやばい!っていう危機感が原作では話の推進力になるが、映画だと最初から勉強できそうにない奴に見えるので緊張感がない。映画では時間の制約もあるのはわかっているがこれは全部で90分の映画ってわけじゃない。111分もあるんだからテンポの調整をすれば完璧に原作通りとは言えなくともちょっとした描写で説明できたはずだ。映画だと原作の描写を省いた結果トッドもドゥサンダーも薄っぺらなキャラクターになってしまっている。原作と全く離れたことをやってるわけではないが、原作に遠く及んでないパターンだ。
それでもドゥサンダーを演じたイアン・マッケランが優れた演技を見せているのは流石だが、トッド役のブラッド・レンフロの演技が評価されてるのがちょっと謎だ。はっきり言って『スタンド・バイ・ミー』のどの四人にも劣っているとしか見えない。もっともこのぼやっとした脚本だとどういう役作りをすればいいのかわからなかったのかもしれないが。
ドゥサンダーは銀行員時代のアンディー・デュフレーン(『ショーシャンクの空に』の主人公)に投資のコンサルを受けている。
「ジェネラル・モーターズがすこし、アメリカ電信電話会社がすこし、レブロンが百五十株。どれもその銀行家が選んだものだった。デュフレーンという名字の男だった――わたしの名字とちょっと似ていたのでおぼえている。どうやら、彼は成長株を選ぶときほど、上手に妻殺しをやらなかったらしい。痴情ざたとはな。つまり、どんな男も、読み書きのできるロバにすぎないという証明だ」
スティーブン・キング『ゴールデンボーイ』浅倉久志訳 P202