高島俊男『中国の大盗賊・完全版』【感想】

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『中国の大盗賊・完全版』

中学生ぐらいの時、高島俊男『中国の大盗賊』を読んだのだが、日本とは違った中国の歴史のダイナミズムがわかりすごく面白かった。それが『中国の大盗賊・完全版』というものが出ているというのを知った。なんでも1989年に刊行した時に削られた部分を再び加えたバージョンになっているとのことで早速キンドルで購入し読んだが……これがまたもっと面白い本になっていた。

そもそも盗賊とは

 日本語で「盗賊」と言われれば泥棒の集団のようなイメージだが、中国語で「盗賊」といえば、非体制の武装集団のことなのだそうだ。

 この「非体制」というのが重要なところで村を襲って略奪を繰り返す集団も、徒党を組んで体制への不満を主張し役所を攻撃したりする集団も同じように「盗賊」と呼ばれる。百姓から収穫物を巻き上げる山賊も体制をひっくり返そうとする世直し集団も体制側から見れば秩序を乱す困りものという点で変わらないからだ。

 どこから盗賊が生まれるのかというと、中国は広いといえど耕作に適している土地は大して広くはない。土地や農作業にあぶれた人や、生産力が低くて農家じゃ食っていけない人が生まれ、集まって盗賊となる。

 こうした盗賊を取り締まる兵隊の方も、同じようにあぶれた人間を集めて治安対策&社会保障として体制がまとめた集団なので、バックに国が付いているだけで盗賊と変わらないゴロツキ集団だったりする。

村を盗賊が襲って、立ち去ったあとへ兵隊が来て、あとから来た兵隊のほうがずっと兇暴で、徹底的に掠奪りゃくだつしたというようなことは珍しくない。盗賊は百姓が飯のタネだから、ゼロにしてしまってはあとの商売にさしつかえる。兵隊は盗賊が飯のタネだから、盗賊のほうは少しは大切にするが、百姓に容赦する必要はない。百姓は両方にやられて、ふんだりけったりである。
高島俊男『中国の大盗賊・完全版』 序章「盗賊」とはどういうものか

皇帝になる盗賊

 で、こうした盗賊が社会の乱れに乗じる、宗教とくっついたり不平知識人を取り込んでスローガンを得る、広い組織を持った行商人が参加するなどの要因で大きく膨れ上がると天下を狙うようになる。本書のタイトルにある「大盗賊」というのは、そうして皇帝にまで成り上がった(もしくは成り上がろうとして失敗した)盗賊という意味なんですね。

 陳勝1)燕雀えんじゃく安んぞ鴻鵠こうこくの志を知らんや」と「王侯将相おうこうしょうしょういずくんぞ種あらんや」の人から始まって、本名も年齢もわからない漢の高祖劉邦、若い頃乞食坊主だったことがコンプレックスで「僧」とか「禿」とか「光」とかいう言葉を使った奴を死刑にした明の太祖朱元璋しゅげんしょう、明王朝を倒して帝位に付くも四十日で満州族に負けて北京から追い出された李自成、著者につまんないヤツととことんディスられる太平天国の洪秀全と、中国歴代の盗賊について語るのだが、その文体が面白い。

 例えば劉邦が天下取りを終えた後、部下の統制に困り儒教を取り入れる時の解説がこうだ。わかりやすく、身も蓋もない。

 儒家は「文」ということを最も重んずる。「文」というのは模様とヒラヒラである。実用的には無意味な飾りである。
 衣服というものは本来、人間の体を寒さや害虫や岩の角から保護するためのものであるから、その役に立てば足りる。これを「質」(実質・実用)という。しかし人間の生活が進歩するとそれだけでは物足りなくなって、衣服に模様を描いたりヒラヒラをつけたりする。これが「文」(もよう、かざり)である。儒家は、人間の生活が「質」だけであっては禽獣きんじゅうと大差ないのであって、「文」があってこそ万物の霊長たる資格があると主張するのである。(中略)
 儒家の儀式は複雑で、並の人間にはなかなかおぼえられない。それはそのはずで、誰でもすぐ出来ては儒者は商売にならない。誰でもお経がよめたら坊主の立つ瀬がないのと同じである。(中略)
 戦乱の時代は世の中万事「質」一本槍だから、儒者は帽子にションベンされてベソをかいているほかなかったが、世の中がおちついてくると「文」が幅をきかす。いよいよ儒者の出番ということになった。
高島俊男『中国の大盗賊・完全版』 第一章元祖盗賊皇帝――陳勝・劉邦

最後の盗賊皇帝――毛沢東!

 そして本書の一番面白く、また旧版で削られた部分は、毛沢東は中国史上最後の盗賊皇帝である!というところである。というかむしろ毛沢東を盗賊皇帝として中国史に位置づけるというのが本書のテーマで、それが削られた旧版は前フリだけで終わったような本だった。

 完全版では李自成や太平天国の乱も中国共産党の歴史の中ではどう位置づけられているか? どう評価されているかについて書かれておりそれがまた面白い。歴史とイデオロギーについて考えさせられる。

毛沢東の伝記はおもしろい。まさに波瀾万丈である。
しかしそれは、史上あまたの盗賊首領や建国皇帝の伝記——王朝末の混乱期に生れあわせた一人の豪傑が、自分の集団を作り、あるいは既成集団を乗っ取って自分の私党とし、国内の政敵を実力で打倒して帝位につき、その後はまず自分に白い眼を向けるインテリや愛想よく尻尾を振らぬ官僚をやっつけ、つぎに建国の功臣たちを粛清し、ついに私党そのものを破壊して、天下を身内一族のものにしようとする……という伝記と、大筋においては少しもちがわぬのである。
つまり毛沢東の伝記のおもしろさは、共産党が人民を解放したの民衆が立ちあがったのというヨタを聞くのがおもしろいのではさらさらなくて、こいつの前では朱元璋も李自成もケチなコソ泥くらいに見えてくるという大盗賊が、中国をムチャクチャに引っかきまわすという、一般中国人にとっては迷惑千万の歴史がおもしろいのである。
高島俊男『中国の大盗賊・完全版』 第五章これぞキワメツキ最後の盗賊皇帝

 マルクス主義を「上の者をやっつけるのはいいことだ(ただし自分の下の者が自分に逆らうのは許さん)」というとんでもない理解の仕方をし、中国の伝統的文化をマスターした毛沢東が、国民党・共産党・日本軍2)日本軍も中国を中心に見ると辺境から湧いて出る蛮族であり、清朝を興した満州族のようなものでそれはそれで盗賊というのも面白いの三つ巴の戦いを制して中国の支配者になる、というのは確かにロマンがある。いわば毛沢東は官軍に取り入れられず帝国を作った水滸伝、三国の内の一つが天下を取った三国志だからそりゃあワクワクするに決まってるわ。

 毛沢東と共産党の逸話も面白いが、毛沢東が最終的に勝者となったのは中国史に学んで、盗賊としての勝利への道をなぞったからだといわれると中国という地域の特殊性を思い知らされる。

 また、初代皇帝が毛沢東が明の太祖洪武帝なら、帝国の路線を市場経済に転換した鄧小平は明の第三代皇帝の永楽帝であり、今に続く中国は毛沢東の中国と別の王朝と考えられる、というのは中国を社会主義国家として見るよりわかりやすい見方だし、これから先の中国を見る上でも役に立つと思う。

 歴史好きの人には是非オススメな一冊。

脚注

脚注
本文へ1燕雀えんじゃく安んぞ鴻鵠こうこくの志を知らんや」と「王侯将相おうこうしょうしょういずくんぞ種あらんや」の人
本文へ2日本軍も中国を中心に見ると辺境から湧いて出る蛮族であり、清朝を興した満州族のようなものでそれはそれで盗賊というのも面白い
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